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各地で長崎活版巡礼祭「ジロ・デ・カッパン」開催 

本木昌造

本木昌造

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 長崎県内各地で「印刷の月」に当たる9月、日本の活版印刷の先駆者・本木昌造没後140年とキリスト教信徒発見150年を記念し、関連ツアーや展覧会、ワークショップなどを楽しむ「長崎活版巡礼祭」が開かれる。

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 同イベントのホームページによると、本木昌造は1824年、長崎市新大工町生まれ。1834年、和蘭陀通詞・本木昌左衛門久美の養子となり、23歳で小通詞となる。通詞以外にも航海、造船、製鉄などにも活躍の場を広げ、1868(明治元)年には日本最初の鉄橋「くろがね橋」架橋の陣頭指揮をした。

 25歳(1848年)の時には蘭書植字判と印刷機を通詞仲間と共同購入して蘭書の復刻を、28歳(1851年)ではオランダ活字を手本に独自の流し込み活字を鋳造した。1855年、官営の活版印刷所の創設を長崎奉行に上申し、活版判摺所(後の出島印刷所)を現在の県庁の場所にあった西役所内に設けさせて自ら御用掛となった。ここでシーボルトの著作などの発行を手掛けるが、まだ木版と流し込み活字の併用で美しい印刷とは呼べないものだったという。より美しい印刷を求めた昌造は1869年、アメリカ人宣教師・フルベッキの紹介で上海の聖教書印刷所・美華書館の代表・ウイリアム・ガンブルを長崎に迎えて、現在の長崎市立図書館(興善町)の場所に活版伝習所を設立した。ガンブルの指導により「電胎法」という高度な活字製造法を修得。初めて納得ができる和文活字を完成させた。長崎製鉄所に勤務していた昌造は1870(明治3)年、辞職して長崎市新町に「新町活版所」を設立し、さまざまな印刷に取り組んだ。1875(明治8)年9月3日、52歳で病没。

 「長崎活版巡礼祭」では昌造の墓がある大光寺(鍛冶屋町)で百四十回忌法要(9月3日)や、活版伝習所跡地にある長崎市立図書館(興善町)で栞(しおり)やメッセージカードを作ったり、新しく鋳造した「本木活字」を使って名入り一筆せんを作ったりする「活版体験ワークショップ」(5日)、長崎県美術館(出島町)ではさまざまな印刷に関するワークショップ「Enjoy Printing」や「いろんなまちの活版印刷展」(以上、2日~6日)、明治時代に作られた現役最古の木造ボギー電車「活版列車いろは号」に乗って地元タウン誌編集長のトークショーを楽しむイベント「まちを編集すること」(27日)などが行われる。

 関連する展覧会として日本二十六聖人記念館(西坂町)では「キリシタンと活版展」、長崎歴史文化博物館(立山1)では「近代化の魁・長崎(本木昌造の仕事)」、聖コルベ記念館(本河内2)・旧羅典神学校(南山手町)では「祈りの印刷・コルベ神父と無原罪の聖母の騎士」、東彼杵町歴史民族資料館では「荷札から活版印刷へ」が、それぞれ9月1日~30日まで開かれる。ほかにも五島・小値賀島にある100年続く活版印刷所「晋弘舎」見学を含めた「島の活版ラリー」など、多彩なイベントを予定する。

 詳しくはホームページで確認できる。

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