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長崎大学で県庁跡地遺構考えるシンポジウム 2つの世界遺産の始まりひも解く

シンポジウムへの参加を呼び掛ける片峰さん

シンポジウムへの参加を呼び掛ける片峰さん

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 第2回長崎県庁跡地遺構を考える会シンポジウム「長崎の記憶をほりおこす」が11月17日、長崎大学中部講堂(長崎市文教町)で開催される。主催は長崎県庁跡地遺構を考える会。

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 長崎県庁跡地遺構を考える会は、JR長崎駅に隣接する尾上町に2018(平成30)年に移転した旧県庁跡地(江戸町)を、長崎開港から明治日本の産業革命にかけて重要な役割を担った「長崎の記憶が眠る場所」としてを再認識してもらうことを目的に今年2月に結成。長崎大学元学長の片峰茂さん、カトリック長崎大司教高見三明さん、国立歴史民俗博物館館長で歴史学者の久留島浩さん、長崎県考古学会会長の稲富裕和さんの4人が共同代表を務める。

 旧庁舎があった江戸町から万才町にかけての一帯は、長崎が開港した1571年、当時の領主で日本初のキリシタン大名・大村純忠によって町建てされた6町がイエズス会に寄進され、ポルトガル人によって「岬の教会」が建てられていた。岬の教会は単なる教会ではなく、旧庁舎の場所に建てられた教会堂を中心にイエズス会の管区長館や大神学校、コレジオ(大学)や印刷所などを併設し、教会活動と貿易に関わる人々が暮らす一大拠点となっていた。開港に伴って市街地が形成されていく中で、岬の教会が中心となり町中に多くの教会が建てられていったことから、会ではこの場所を「長崎という町のスタート」と位置付けている。

 キリスト教禁教の時代が訪れたことから、岬の教会は1614年に取り壊されたが、1663年に長崎奉行所西役所が建てられ、向かいにある出島とともに鎖国の日本で「日本と世界が交わる場所」へと変わり、長崎奉行所は奉行所としてだけでなく、幕府の外交や交易の窓口としての機能も有することになる。

 幕末の1855年には奉行所の中に海軍伝習所や医学伝習所がつくられ、明治日本の産業革命の礎を築いた場所となる。明治になると長崎会議所、裁判所、長崎府を経て1869年に長崎県庁となり、暴風や1945(昭和20)年の原爆により倒壊して何度も建て替えられながら2017(平成29)年まで県庁として使われていた。

 シンポジウムは「世界の中の長崎、日本の中の長崎」をテーマに長崎大学の木村直樹教授がコーディネーターとなって第1部が行われ、イエズス会の日本管区長・デ・ルカ・レンゾ神父ら3人のパネリストがキリシタン史や開港から幕末までの長崎の歴史に焦点を当て講演する。

 第2部では長崎大学の野上建紀教授がコーディネーターとなり、「長い岬の先にー発掘から見えてくること」をテーマに、長崎県考古学会の稲富裕和会長ら3人が文化財保護や発掘調査から見えてきたことについて講演する。

 共同代表の片峰さんは6月2日に行われた第1回のシンポジウムについて「300人以上が集まり会場が熱気に包まれる感覚があった。これまで長崎というと『出島』や鎖国時代の唯一の港として語られることほとんどだったが、長崎の港や街の成り立ち、そして2つの世界遺産の起源となった場所として県庁跡地を再認識してもらう機会になったのではないか」と振り返り、「県庁跡地の活用に向けた議論が先行し、文化財としての重要性が後回しにされてきた部分がある。シンポジウムが学者だけでなく市民・県民とこれまで語られてこなかった歴史を共有する場になることで、世論として文化財への意識改革やアカデミアの強化につながるきっかけになれば」と意気込む。

 12時30分開場、開催時間は13時~17時10分。入場無料。

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