Jリーグのアジア室リーダーが講演-長崎はスポーツでもっと輝く

アジアの子どもたちにユニフォームを届けた時の様子を紹介する山下さん

アジアの子どもたちにユニフォームを届けた時の様子を紹介する山下さん

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 出島交流会館(長崎市出島町)で3月13日、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)職員の山下修作さんが「Jリーグのアジア進出で、V・ファーレン長崎が変わる」というテーマで講演した。

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 山下さんは1975(昭和50)年、埼玉県生まれ。2001年に北海道大学大学院農学研究科卒業後、リクルートに入社。2004年、SEA Global取締役に就任。翌年からJリーグ公認ファンサイト「J’s GOAL」の編集長として活躍する。2008年ごろよりアジアの動向に目を向け、2012年のアジア戦略室発足に伴い、本格的にJリーグのアジア展開に携わっている。現在、アジア室プロジェクトリーダー。

 V・ファーレン長崎、クラブ設立10周年を記念して企画された講演会には、サッカーファンなど40人ほどが参加。山下さんは、長崎に旅行に来た外国人が、「せっかくだから」とV・ファーレン長崎と徳島ヴォルティスの試合を観戦したケースを紹介した。「同じ人たちが京都でもサッカー観戦したら、対戦相手がV・ファーレン長崎だった」と話すと、どっと笑いが起こった。「日本は私たちが思っている以上にサッカー観戦の環境が整っている。外国人にとっては日本各地でのサッカー観戦が大きな楽しみの一つになっており、それも年々増えている。J1でもJ2でも関係ない」とも。

 スクリーンに映る資料を指差しながら、「Jリーグの強みは」と問題提起する山下さん。「ヨーロッパなどと比べると、チームは弱いし歴史は浅い。でも逆転の発想で、それが強みになる」と指摘した。1993年にクラブチーム10団体で発足したJリーグは、わずか5年後の1998年にワールドカップに出場。その後、5大会連続出場を果たし、ベスト16が2回。オリンピックも5回連続で出場し、ベスト4まで勝ち進んだ実績も持つ。

 「日本のサッカーは短期間に急成長を遂げている。アジアのサッカーファンにとって、日本は圧倒的なあこがれの存在。急成長した日本のノウハウを東南アジアのサッカー市場は欲しがっているはず」。そのことを確信した山下さんは、タイのサッカーリーグ事情を視察するため「タンスに眠っているユニフォームをアジアの子どもたちに届けるため」という海外出張の口実を作り、アジア各地の子どもたちに段ボール箱8個分のユニフォームを一人で届けた。終了後に本命のタイのリーグを視察した。

 「タイのリーグを実際に見たことで直感は確信に変わった。ユニフォームを届けた子どもたちが心から喜ぶ姿を見て、逆に自分が感動を覚えた。ここに大きな可能性があることを感じた」と話す。東南アジアとの成功事例としてコンサドーレ札幌のケースを紹介。「もともと3000万円の赤字を抱えていたチームが、ベトナムの国民的サッカー選手のレ・コン・ビンさんを獲得。日本国内に住むベトナム人が全国から札幌へ応援に訪れ、ベトナム国内では同選手の活躍が新聞やテレビなどのメディアを通じて頻繁に告知されることで、札幌や北海道の知名度や好感度がベトナム人の間で一気に上昇した」とまとめた。

 「日本においてはという条件付きながら、Jリーグの各チームは名門クラブ『FCバルセロナ』にさえも勝てる。それは地域にクラブチームがあるという意味にヒントが隠れている。現在、37都道府県で52チームを擁するJリーグは、自分の町のチームを応援するという『涙も笑顔も』全部に価値がある」と話す山下さん。東南アジア各地から注目されている日本のJリーグが、日本国内だけでは収入の確保にも苦労しているというこれまでの現状がある。「どこのチームにもアジアに活路を見出すチャンスがある」と力を込める。

 講演の最後に山下さんは「これからは日本だけではなく、日本とASEANをセットで考えればいい。日本人ではなくアジア人という意識で臨めばいい。長崎の未来にわくわくしてほしい。札幌で起こったことは長崎でも起こせる」と締めくくった。

 主催したスポーツ文化新聞社の植木修平社長は「サッカーに限らず、スポーツが秘めている可能性は本当に大きい。最初あまりピンとこなかった人が、講演を聞いて目の色が変わったことが何よりの成果。これからも根気強くスポーツの可能性を伝えていきたい」と意気込む。

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