長崎・浜屋百貨店で「竹久夢二展」 肉筆絵画やオリジナル木版画、番組上映も

浜屋百貨店(浜市アーケード側)

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 浜屋百貨店(長崎市浜町)で12月29日、大正時代を代表する画家・竹久夢二の作品展が始まった。

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 竹久夢二(本名=竹久茂次郎)は1884(明治17)年に岡山県で代々酒造業を営む家の次男として誕生した。16歳の時に父親が酒造業を廃業して八幡製鉄所に勤めたため、一家で福岡県八幡村(現・北九州市八幡東区)に転居するが、17歳の時に家出して単身上京。18歳で早稲田実業学校専攻科に入学して新聞などに絵の投稿を始め、21歳の時に初めて平民社発行の「直言」に絵が掲載される。同年から「夢二」を名乗る。23歳で岸たまきと結婚し、読売新聞社に入社して時事スケッチを担当。長男・虹之助も誕生するが25歳で協議離婚。同年、最初の著書「夢二画集 春の巻」を発刊してベストセラーとなる。

 1912(明治45)年、雑誌「少女」誌上に「さみせんぐさ」のペンネームで「宵待草」の原誌を発表。5年後の1917(大正6)年に宮内省雅楽部のバイオリニスト・多忠亮が曲を付けて芸術座音楽会で演奏し、翌年に楽譜が発刊されて全国ヒットとなる。翌年、長崎に旅行で訪れて豪商・永見徳次郎が銅座町の邸宅でもてなした。永見は夢二のほかにも、斎藤茂吉や芥川龍之介、菊池寛など多くの文化人と交流していたという。

 1920(大正9)年に永見への返礼として代表作「長崎十二景」を完成させて進呈しているが、同年に恋人「彦乃」が25歳で病没。しばらくはショックから立ち直れなかったというが、翌年には別の女性と所帯を持ち、後に作家・山田順子とも交際する(いずれも後年離別)。1933(昭和8)年、台湾での展覧会と講演からの帰国後に結核を発病。翌年9月1日、49歳で死去。最期の言葉は「ありがとう」だったという。

 作品展では、はがきサイズ程度の木版画(初版)10点をはじめ、肉筆絵画「果物を売る女」「梅花図」や、版画「宝船」「文楽人形」「治兵衛」などの貴重なオリジナル作品のほか、人気が高い復刻版画約30点などを展示販売する。会場内のモニターでは、夢二の作品「長崎十二景」に関する番組を上映する。

 営業時間は10時~19時30分(金曜・土曜は20時。1月1日は休業)。作品展は来年1月5日17時まで。

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