「メルカつきまち」(長崎市築町)で1月13日、タレントで女優の原千晶さんの講演会が行われた。主催は「りぼんちゃんプロジェクト」。
着物姿で登壇した原さんは「これから話すことは自分が知識を付けなかったことへの後悔と、正しく知ることの大切さ。今日はタレント原千晶ではなく、『よつばの会』代表として来た」と前置き。29歳の時、気持ちの失速から一時タレント活動を休業していたころにアロマセラピーの勉強を始めるが、結婚や仕事への復帰などで悩み、八方塞がりの気持ちでいたことを話すと多くの女性がうなずきながら聞いていた。
2005年、31歳を目前にして突然激痛に襲われ、見つかった腫瘍部分だけを取り除く円錐(えんすい)切除を受けて病理検査した結果「子宮頸がん」であることが分かった。転移を防いで命を守るため子宮全摘を勧める医師の言葉を母親と一緒に聞き、子どもが産めなくなることへの絶望感との間で気持ちが大きく揺れた。決断まで1週間の猶予を与えられた原さんは母親と泣きながら帰宅。心を鬼にして全摘出を勧める両親の言葉に従い一旦は手術を決意するが、「子どもが産めなくなる」という心の声との間で毎日気持ちが大きく揺れ動き、手術の4日前にキャンセルした。
「今振り返ると、この時に全部摘出しておかなければならなかった」と涙声で反省すると、会場のあちらこちらからすすり泣く声が聞こえた。原さんは毎月検査に行くことを条件に手術を免れたが、病院の検査では「異常なし」が続き、体調も悪くなかった安心感から次第に検査に通わなくなったという。2009年12月、再び激痛に襲われた時の病状は、すでに手遅れ直前のレベルに達しており、命の危険が迫る中で2010年1月13日、準広汎子宮全摘手術を受けた。「ちょうど4年前の今日の出来事。同じ日にこうして生きて長崎で話ができるなんて」と声を詰まらせた。
「当時付き合っていた現在の夫の父親に夫が全摘手術したことを報告した時、『お前が選んだ彼女を捨てるようなことをしたら息子としてお前を絶対に許さない』と言われたらしい。私はそれを聞いて涙が止まらなかった」と振り返る。原さんは2011年7月、37歳で患者会「よつばの会」を結成するが、「ぜひ手伝いたい」と参加したスタートメンバーの同じ年齢の女性が、わずか8カ月後に他界。これまでに10人以上のメンバーが命を落としていったという。
「彼女たちは死んだのではない。精一杯生きた。全員が『なぜ早く病院に行かなかったのだろう』という言葉を残した。だから早期発見、早期治療しかない」と力を込めた。講演後、原さんは同プロジェクト代表の大原万里亜さんとのトークライブに臨んだ後、演壇を降りて参加者との写真撮影に応じた。長崎市内から参加した女性は「素晴らしかった。体験した人だけが話せる力強いものを感じた。自分や娘の体のことももう一度きちんと学び直したい」と話した。