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第4回店舗編「焼肉 真」

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岩永ホルモンさんは以前、浦上百貨センターにおられたそうですね。

そうです。以前はホルモン販売店を出していました。その肉は長崎市赤迫の長崎食肉センターで捌いた肉を加工して出していたんですが、そこが廃止になって出来なくなったため、店を辻町に移して卸だけをやるようになりました。昭和の終わり頃の話ですね。

岩永ホルモンさんは社長が創業者になるんですか?

実は食肉センターでの仕事もホルモン屋も叔母がやっていたのですが、両方とも後継ぎがいないということで、私が19歳くらいから食肉センターで働きだしました。当時、浦上百貨センターがよく売れていたので叔母に卸す形で仕事をしていました。ところが叔母が倒れてしまって、私の家内の妹を浦上の店に置いて継ぐことになったのです。それから1~2年くらいは良かったんですが、その後、長崎食肉センターが廃止になって品物が入らなくなってきました。しばらくは頑張ったのですが、品物が毎日入らないので結局は浦上を閉めざるを得なくなりました。辻町に移転したのは15年くらい前だと思います。

焼肉店を始めるきっかけは?

ちょうど4年位前の話です。10年経ったら独立するのを目標に私の息子が焼肉店で働いていたのですが、そろそろかなという時期でした。その頃にJAさんの会合に出ていたら、長崎で地産地消をやろうという話になり、出島ばらいろとの出会いがありました。それなら息子に専門店をやらせてみようかという話から今に至ったのです。それから岩永ホルモンの作業場の一部を焼肉店に改装しました。当時の焼肉店は、今の厨房とほんの少しのスペースしかなかったんです。

なるほど。でもJAさんの会合で決まるというのは珍しい展開ですね。

長年この業界にいるので分かりますが、このJAさんの「出島ばらいろ」は確かに品質がいいのですよね。生産者の人たちとも親しくさせていただく中で、ホルモンを買っていただいたりして大変お世話になっていました。その中でふっと出た言葉が「専門店をやってみようか」でした。実際に1年間やってみて、狭すぎるという意見や、1年待ち続けたけれど、どうしても中に入れなかった人がかなりおられることが分かりました。当時は4テーブルとカウンターだけなので20席くらいだったんです。それをきっかけに店を広げることにして、最終的にはホルモン屋は長与に移転することになりました。



専門店をやるというのは、やはり特別なことなのですか?

そうです。専門店というのは、結構辛いこともあって、例えばブランド肉自体の数が限られています。専門店ですから、何らかの事情で買いそこなったとしても他の肉を使う訳にはいきません。生産者の方からも情報をいただいて、それに合わせて在庫が無くならないように買うようにはしてます。しかし、A5というランクの肉を使うので福岡などにも買い付けに行きますが、そこにA5があればいいんですよ。でも厳しいときもあるんです。といって、早くから確保して長く保管した肉を使う訳にもいきません。一般の焼肉店さんも大変でしょうが、正直、専門店は大変なんです(笑)。

A5というのは、いい肉なんですか?

牛肉の格付けでは最高ランクになります。2つの評価基準があって、生体から皮、骨、内臓を取り去った肉を枝肉といいますが、この枝肉の割合が大きい牛がランクが高い。つまり同じ体重でもたくさんの肉が取れる牛がいいのです。これをABCの3段階で表して歩留り等級と言います。数字は肉質等級で、「脂肪交雑」「肉の色沢」「肉のしまり、きめ」「脂肪の色沢と質」について1から5までで評価します。これを組み合わせたA5が最高ランクということになります。

一口に肉と言っても深いんですね。

そうなんです。実は今年の8月29日が開店から4周年。29で、肉の日です(笑)。毎年いつもいろんなイベントをするので、お客さんの方がよく知っていて、店先に張り紙をしておくだけで、いつもその日は満席になります。

イベントはどんなことをされるのですか?

オープンの時は、半額セールをやりました。1周年もそうですね。ここは朝と夕方に交通量が多いんですよ。その時に、通りながら見ている人が多いみたいですね(笑)。

期待されているんですね。平日にもお客さんは多いのですか?

それが、正直分からないんですよ。水曜日に突然満席になったり。予約があれば掴めますが、飛び込みのお客さまばかりで満席になることも少なくありません。週末が入れないので、代わりに平日に来られる方もおられるようです。

失礼ながら、ここはお店には向かない場所のような…。なぜここで?

ここは私の実家なんですよ。

そうだったんですか?それは失礼しました。

親父が早く亡くなって、ここにアパートも持っていたんですが、古くなったので骨組みだけ残してリフォームしたんですよ。もう15年くらい昔かな。浦上百貨センターで家賃払うよりもということで移転したんです。



そうでしたか。子ども時代はどんなお子さんでしたか?

中学くらいまでは活発な子どもでしたね。勉強嫌いでスポーツばっかり。

見るからにスポーツマンの感じがします(笑)。スポーツは何を?

サッカー、陸上、バレーとか何でも。小体連でサッカーと陸上。400メートルのアンカーもやりました。中体連ではバレーでしたね。高校は仕事して自分で学費を払いながら定時制に行きました。卒業してしばらくしてから食肉センターで働くようになりました。


ご実家は食肉関係のお仕事ですか?

そうではなくて、先ほど話したように父の姉たちがやってました。結局、私は長年食肉に関わるようになったのですが、「出島ばらいろ」というブランドを普及させたいという話し合いの中で、専門店という形で引き受けることになったのも何かの縁でしょうね。確かに卸をやっているからこそ、専門店ができるという事実はあります。でも先ほど言った理由で、やりたくてもなかなか難しい現実があるのも事実です。とはいえ、お蔭さまで口コミで知っていただいて少しずつお客さまが増えていきました。

ところで店名の「真」の意味は?

よく聞かれます。本当は「真剣」とか「真実」とかそういう意味で、私がインスピレーションで決めただけなんです(笑)。でも、お客さんからは私の嫁の「真由美」の真と思われています(笑)。看板の「真」の揮毫は、私の家の隣に書道家の方がおられて書いていただきました。


社長が仕事を続けられるエネルギーの元は何ですか?

やっぱり、お客さまから「おいしい」と言ってもらえることですね。ここの肉なら間違いないと言ってもらったときは本当に何とも言えずうれしいです。そのかわり、卸屋だけをしているときに買いに来られたお客さんには、品切れで帰ってもらわないといけないことも時々ありましたが、焼肉屋の場合は基本そうはいきませんからね(笑)。

いろいろご苦労もあったのでしょう?

2010年に開店して少しずつ伸びていた矢先、翌年3月に東日本大震災が起こりました。売り上げが急落してどうしようもなくなり、正直絶望的な気持ちになりました。そしたら私の和室の部屋でコウモリが死んでいるのが見つかったんです。そのことを他の人に話したら「あら~。それは暗闇に入ったね」と言われてしまって。すると、その通り本当にドンドン暗闇に入っていくんですよ。今だから言えますけど、それから何もかも売れなくなって…。去年の暮れからようやく戻りはじめました。

まだ最近なんですね。

はい。震災だけでなくレバ刺が出せなくなったり、いろんなことが連続で襲ってきましたから。こんなこと言ってはいけないだろうけど、正直踏んだり蹴ったり(笑)。
もう笑うしかないという位まで追い込まれたこともありました。実際、他の店の中には廃業されたところもあります。でも、辛かったんですが、周りの皆さんに本当に助けていただきました。皆さんの支えで結果的には割と早く回復できたのではないかと思います。面白いことに、回復した途端に駐車場にツバメが巣作りしているのが見つかりました(笑)。縁起いいでしょ。

どんな状況になっても諦めないことで、どこかで運が味方に付くんでしょうね。

そうだと思います。付き合ってもらっている生産者さんも、肉牛の賞を常連で取る人が多いんですよ。うれしいことに、その生産者さんが「出島ばらいろでなく、焼肉真を売ってくれ」と言ってくれるんです。専門店なので結局「出島ばらいろ」は売るんですけど(笑)。

6月29日には「出島ばらいろ」の専門店第1号の認定証もいただきました。支えていただきながら、頑張ってきた甲斐がありました。うちは予約制ではないので、飛び込みでもいいのですが、満席で入れず外でお待ちいただく間のお客さまの表情にやはりどうしてもイライラが見えてきます。本当に申し訳ないと思いますが、それでも席について食べていただいた途端に皆さん笑顔に戻られます。ホッとする瞬間です(笑)。


それは良かった(笑)。最後に読者の皆さんにひとことメッセージをお願いします。

週末は店にお入りいただけない方が多く本当にご迷惑をおかけします。場所はちょっと不便ですが、平日にあらかじめお電話をいただいて、来てもらえればうれしいです。ぜひ一度、「出島ばらいろ」を味わってみてください。

楽しいお話ありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございました。

岩永さんの息子で同店店長の篤さん(31・写真左)は「学生のバイト時代から焼肉店で働いていますが、お客さまが『おいしい』と言ってくださる笑顔が今でも一番の元気の源です」と答えていただきました。次回、長崎グルメ探訪をお楽しみに。

推薦者編「会社員 塚原仁人さん」

■焼肉 真
営業時間:17時~ラストオーダー23時。不定休。
所在地:長崎市辻町7-23
電話:095-846-3567

(文責・長崎経済新聞編集部 田中康雄)


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