長崎市内に実在する21カ所の坂道を美少女キャラクターとして擬人化した缶バッジ「ながさき坂道むすめ」が話題になっている。
缶バッジを企画・プロデュースしたのは長崎市内に住むMODAL代表の林田英昭さん。林田さんは東京に住んでいたが、2年前に出身地の長崎に帰ってきた。同企画は昨年スタートしたもので、ポストカード集「幕末NAGASAKI」の製作で一緒に仕事をしたことがある漫画集団「DEPαRTURE」(デパーチャー)にイラスト監修を依頼。今年4月に発売した。
「以前、長崎に住んでいた時は『長崎は魅力的だ』と外部から来た人にいくら言われてもピンとこなかった。しかし、東京に住んでみて初めて長崎が魅力にあふれる街だということがよくわかるようになった」と振り返る林田さんは、長崎の坂道には大きな魅力があることに改めて気づいたという。実際に坂道を訪れて撮影したり図書館で調べたりするうち、「地元の人でも知らないことが多いだろう」と21カ所の坂道を写真と文章にまとめた「ながさき坂道めぐり」というページも公開。発売した缶バッジの裏面にも一部を紹介している。
坂道には林田さんがそれぞれ「坂ナンバー」を割り振り。1番から順にオランダ坂(東山手町)、下り松裏の坂(南山手町)、祈念坂(相生町)、グラバースカイロード(上田町)、ドンドン坂(南山手町)、県庁坂(江戸町)、喧嘩(けんか)坂(万才町)、幣振(へいふり)坂(寺町)、丸山オランダ坂(丸山町)、ピントコ坂(上小島町)、ゆうれい坂(伊良林町)、六角道(立山町)、長坂(上西山町)、トロトロ坂(中川町)、腹切(はらきり)坂(宿町)、西坂(西坂町)、遅刻坂(竹の久保町)、自動車学校下の坂(赤迫町)、打坂(時津町)、変電所の坂(飽の浦町)、上の坂(入船町8号線、入船町)。
7番「喧嘩坂」は長崎地方法務局の横にあり現在は階段。「大恩寺坂」とも呼ばれる。1700年の大雪の日、この坂で年老いた深堀藩士が誤ってはねた泥が町年寄高木彦右衛門の仲間にかかったことから争いになり、後に「深掘騒動」と呼ばれる討ち入り事件にまで発展する。裁判の結果、高木家は断絶、深掘家も多数の者が切腹、遠島を受けたことから「喧嘩坂」と呼ばれるようになったという。「忠臣蔵」で知られる赤穂藩士・大石内蔵助が深堀騒動の一部始終を調査するため来崎し、2年後に討ち入りを行ったという説もあるが定かではない。喧嘩坂のキャラクターは「はねっ返り武家娘・志波原ミツ」。名前は史実上、関係した人物からヒントを得たもの。
12番「六角道」は県立長崎図書館の横から立山公園方面へ抜ける曲がりくねった道路。諏訪神社の境内地に樹齢数百年の神木をよけながら作られており、道路と木の狭い空間を車で抜けなければならない光景は全国的にも珍しい。くねくね曲った様子が霞(かすみ)に似ていることから、別名「霞道(かすみじ)」と呼ばれ、歌手の一青窈さんが長崎を舞台にした映画「ペコロスの母に会いに行く」に同じタイトルの主題歌を提供している。キャラクターは年齢を忘れた御神木(ごしんぼく)という設定の「くすのきさま」。
15番「腹切坂」は旧長崎街道・宿町付近にあったが、現在は国道251号線沿いに石碑が並んで残っている。熊本・細川藩の家臣がここで切腹したという説と、フェートン号事件(1808年10月)の際に警備を担当した佐賀藩士16人が責任を取って切腹したという説がある。腹切坂のキャラクター「腹キリ子」だけはシークレットアイテムとして非公開。
林田さんは「急坂ランキング」も調査。スマートフォンのアプリを使って調べたところ、20番「変電所の坂」(最大斜度19.3度)をナンバーワンに認定した。「ここは急坂として広く知られており予想通り。登ってみればわかるが、本当に恐ろしく急な坂。上から見下ろすとスキーのジャンプ台のようで目がくらむ。すぐ近くには三菱重工長崎造船所の記念館もあるので、観光名所になるのでは」と期待を込める。
発売後、5月ごろからインターネットや新聞などのメディアで取り上げられる機会が増え、「かわいい」「欲しい」というものから「こんなものまでキャラクターになるのか」と驚く声まで反応はさまざま。
缶バッジの価格は1個380円。出島やグラバー園内売店、市内の土産品店で販売されている。