長崎・淵神社境内の「宝珠幼稚園」(長崎市淵町)で2月22日、毎年恒例の「おゆうぎ会」が開かれ、園児7人が開園以来の伝統演舞「白虎隊」など7つの演目を保護者らに披露した。
おゆうぎ会は1972(昭和47)年の開園以来、毎年行われており今年で42回目。午前10時、下條一仁園長の開会あいさつの後、園児たちは整列して保護者らに元気良くあいさつ。「ちょうちょう」「すいかのめいさんち」「まつぼっくり」「ゆき」と、四季の歌を順番に合唱した。「まつぼっくり」を一度歌った後、園児代表が「今度はさぬきで歌います」と宣言すると保護者らの中には意味が分からず首をかしげる人も。「松ぼっくりがあったと。高いお山にあったと」と、「さ」を抜いた語尾が突然無音になるコミカルな歌い方に観客席から笑い声が漏れた。
合唱の後、英会話や英語の歌をジェスチャー交じりで披露した園児たちは、着替えを母親に手伝ってもらい着物で次の出番を待った。中には自身も卒園生という母親もおり、わが子の着替えを手伝いながら昔を思い出したという。3番目の演目には日本舞踊「花がみたくば」と「ぶらぶら節」が登場した。園児たちは藤間流の藤間勝治郎さんから指導を受けた踊りを懸命に披露。サビの「ぶらり、ぶらりと言うたもんだいちゅう」という部分では、保護者らが一斉にわが子の決めポーズをカメラに収めていた。
1950(昭和25)年に制定された豊栄舞(とよさかまい)は別名・乙女舞とも呼ばれ伊勢神宮などで奉納される。開園以来、全女児で演じてきた乙女舞を今年は巫女(みこ)姿に着替えた女児6人で披露した。次の「白虎隊」は開園以来、全男児で舞う伝統の演舞。しかし今年は演じられる男児が1人となったため下條園長らが指導者や保護者らと協議を重ねた結果、初めて女児も白虎隊を演じることになり園児7人による白虎隊が披露された。女児の一人は数日前から右手に大きなケガを負っており、幼稚園も保護者も出演を控えるよう女児を説得したが本人の強い希望によりギブスと包帯を巻いたまま出演。最後まで見事に演じ切った。
演舞の後はピアニカ4人、タンバリン3人で「きらきら星」を合奏。最後はキリスト教の賛美歌「神様のぬくもり」(原題=神様のぬくもりのしるし)を7人全員で合唱した。大きくはっきりした声で賛美歌を丁寧に歌い上げる園児たち。「君のすぐ隣に泣いている人がいるなら、神様の深い温もり分かち合えるといいね」と歌う子どもたちの澄んだ歌声を聴いて保護者や祖父母らの多くがハンカチで涙を拭っていた。11時30分、小さな会場は大きな拍手に包まれながら全演目を終了した。
1882(明治15)年、現在の幼稚園の場所にあった淵神社の旧社務所にわずか11人の生徒が集まり「淵小学校」が開校した。現在の長崎市立稲佐小学校の前身となる。さらに江戸時代までさかのぼると、その場所には手習所(寺子屋に相当)があったという。その旧社務所は原爆の爆風で全壊。倒壊した建物の下から奇跡的に助け出された少年がいた。少年は被爆から27年後、自分が助け出された場所に幼稚園を開園する。その少年の息子として同園を受け継いだのが現在の園長・下條一仁さん。
「父には先人から連綿と受け継いできた教育の灯火を消してはならないという強い思いがあった。ここは明治になる前は寺院だったが神仏分離令によって強制的に神社に変更された。最後の演目を賛美歌にしたのも教育は形にこだわることではなく受け入れる心が一番大切だという私たちの考えから。開園以来の白虎隊も父が会津藩(福島県)の『什の掟(じゅうのおきて)』の良いところを子どもたちに伝えたかったから」と下條園長。「相手が痛がるから止めなさいと子どもに教える先生より、進んで人の痛みを感じ取れるような子どもを育てる教育環境を作りたい。ならぬことはならぬものです」とも。