長崎で不登校やひきこもりの経験を持つ若い男女9人が5月、当事者や保護者に向けて発行する情報誌「今日も私は生きてます」を創刊した。初版はすでに完売し先月増刷した。
同誌はA4判、全86ページ。当事者の手記や支援団体へのインタビュー、ひきこもり先の紹介、ひきこもり当事者へのインタビューや、ひきこもり中に歯が痛くなった場合の対処について歯科医に取材した記事などを掲載する。
当事者でなければ発想できないようなユニークな視点も特徴。編集メンバーは長崎市や島原市などに住む20代~30代の若者9人。当初は無料で配布することも考えたが、現在はメンバー全員に仕事がないため「この情報誌の発行がいつか仕事になれば」と考え、1部500円で販売している。
発起人の古豊慶彦さん(26)は1987(昭和62)年、長崎市生まれ。中学生時代からさまざまな理由で学校に行ったり行かなかったりという毎日を過ごした。高校は長崎市内の進学校に進むが、不登校を原因に中退した。
その後、高校卒業程度認定資格(旧大学入学資格検定)を取り1年遅れで京都の大学に進学。4年間で卒業した。大学進学を決意したのは「将来は不登校の子どもたちの居場所を作る仕事がしたいという漠然とした夢が持てたから」という。
古豊さんにその転機が訪れたのは17歳の時。母親の勧めで北海道の礼文島にあるユースホステルで4カ月間を過ごした住み込みのアルバイト体験だった。「自分にとっては模範的な大人としての父親の存在が大きかったし、それに比べて自分は情けないという思いが強かった。しかし、ここにやってくる人たちは十人十色だった」と振り返る。
「いい大人なのに定職にも就かずフラフラしながらも楽しく生きている人、普段は仕事に打ち込みながら季節に応じて全国を旅する人など、多くの人と出会う中でさまざまな生き方を目の当たりにした。『これでもいいんだ』と気づいた時、自分の中の人生観や仕事観が大きく変わった」と古豊さん。
大学卒業後、長崎に帰ってから不登校の子どもたちのために始めた訪問活動がきっかけとなり、今回の創刊メンバーと出会う。刊行のきっかけは、「みんな何らかの形で社会と関わりながら生きたいという思いと、自分たちのことを形にしたい」との思いから。週に一度集まる中で少しずつ情報誌という形が見えてきたという。
古豊さんは「始めたとはいえ、みんな不登校、ひきこもり経験者。今でも正直、引きずっている部分もある。不登校やひきこもりの理由もまた十人十色。普通なら批判されるだろうが、責任感を背負い込まず、いつでも逃げ出せるようにして、できる範囲で無理せず続けたいという思いから発行は不定期」と話す。
「少しでも当事者や支援者の役に立てばうれしい。ぜひ読後の感想を寄せてほしい」と呼び掛ける。
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