長崎セントラル劇場(長崎市万屋町)で10月15日、映画「アトムとピース」が公開された。
同作は長崎市在住の被爆3世・松永瑠衣子さんが、被爆国として放射能の恐ろしさを一番知っていたはずの日本人が「なぜ今でも原発にこだわるのか?」という素朴な疑問を胸に、原子力を平和利用する現場を旅するドキュメンタリー。
松永さんは小学生のころ、わずかな資源で莫大なエネルギーを生み出せる素晴らしい発電方法として「原子力の平和利用」を学んだ。しかし、東日本大震災が発生し、「信じて疑わなかった原子力のイメージ」が大きく揺らぐ。震災から4年を経て福島と青森に向かった松永さんを待っていたものは、福島第一原発から20キロ圏内にあり、全町民2万人が非難中の福島県浪江村。ゴーストタウン化した町と、隣の二本松市にある仮設住宅を訪ねる。青森県六ヶ所村では日本原燃PRセンターと、反対運動を30年以上続けている漁師の話を聞きに行く。松永さんはさらに、全炉心でMOX燃料が使用できる世界初の大間原発を建設中の大間町へ。自分の土地に「あさこはうす」を建てて原発用地買収を拒否し、2007年に他界した母の遺志を継ぐ小笠原厚子さんを訪ねる。
同作を監督した新田義貴さんは1969(昭和44)年、東京都出身。1992年にNHKへ入局し、アジアや中東、アフリカなど第三世界が抱える問題にフォーカスしたドキュメンタリー番組を制作してきた。2009年に映像制作プロダクション「ユーラシアビジョン」を設立。2012年、沖縄の古い市場再生を描いた第1回監督作品「歌えマチグヮー」を劇場公開した。
「史上最悪の原発事故を起こしながら、なぜ日本は原発再稼動にこだわるのかというシンプルな疑問から全てが始まった。経済原理だけでなく『知られざる理由が隠されているのではないか?』と追い続けるうち、プルトニウムに関するさまざまな問題に行き着いた。沖縄戦の激戦地を取材中、たまたま知り合った若者が松永さんを紹介してくれた」と話す新田さんは、「若い松永さんが持つ素直な心のフィルターを通して、原子力の真実の姿を感じてもらえれば」と呼び掛ける。
新田さんらは松永さんの旅とは別に、日米の政治家や専門家に鋭いインタビューを試みる。対象者は元米国務副長官で、ジャパンハンドラーと呼ばれるリチャード・L・アーミテージさんや、原発事故時の首相・菅直人さん。米国の「アトムズ・フォー・ピース(アイゼンハワー大統領が1953年に行った演説をきっかけに広がった原子力の平和利用)」政策を痛烈に批判し続ける歴史家のピーター・カズニックさん。日米原子力交渉を担当した元外務省科学審議官・遠藤哲也さん。日本が47トンにおよぶプルトニウムを所有することが東アジアの安全保障の脅威になると警告するIPFM(核分裂性物質に関する国際パネル)議長のフランク・フォン・ヒッペルさんなど。
これまで長年にわたって隠されてきた重大な事実を知った松永さんは、最後に伊原義徳さんという高齢者と向き合う。伊原さんは「日本の原子力の父」と呼ばれた元科学技術事務次官で、第一期原子力留学生として1954(昭和29)年に渡米した人物。「日本が太平洋戦争に突入した主な原因はエネルギー確保だった。それは今でも変わらない」と伊原さん。核燃料サイクル計画を推進してきた伊原さんは、「原子力の未来」について松永さんと本音で対話する。
上映は12時、17時30分の1日2回。21日まで。