10月1日に「国際コーヒーの日」を迎えることから、長年バリスタとして活躍しながら、日本のコーヒー伝来の地「長崎・出島」でこだわりのスペシャルティコーヒーを提供する「Attic coffee and dining」(長崎市出島町)社長・野田信治さんに話を聞きます。後編では店の誕生秘話に迫ります。
-野田さんとエスプレッソの出会いについて教えてください
私はとんかつ店を営む父の跡を継ごうとホテルに就職して厨房で働いた後、父の経営する浜町の西洋亭で働きました。その時に一緒に働いていたスタッフとくつろげる場所、仕事終わりに皆で話せる場がつくりたいと思ったことがきっかけでした。私の内に秘めていた「コーヒーをやりたい」という話を仲間にしたところ二つ返事で返してくれ、西洋亭の3階にある店舗に自分たちで壁に色を塗り手作りでカフェを造りました。
メーカーの協力もあり、エスプレッソマシンを導入してカプチーノを提供したのが17年前の話です。その時のスタッフが「ここを屋根裏部屋にしよう」と言ったことが店名のAttic(屋根裏部屋の意)になりました。
—そんなに前からカプチーノを提供していたんですね。店名の由来もこのときのことだったとは…今私たちがくつろげる場所であったり自由に本を読んだりする「空間の一つ」としてカフェを利用するの現代のかたちの原点のようですね
これまでの喫茶店のような形態ではなく、スタッフがゆっくりくつろぎながら過ごせる場所がつくりたかった。そこでずっとやりたいと思っていたコーヒーを出して楽しんでもらいたかったのです。経営を考えたときにも飲食だけでは難しいと感じていたことから、カフェ展開もしていきたいと思っていました。
当時のAtticは3階という立地条件の悪さだったことに加え、カフェやエスプレッソが今ほど認知されていない中で売り上げは芳しくない。社長である父は事業規模が大きいレストラン経営をしていたこともあり、売り上げが伸びていないカフェをすることに反対され、事業展開についてひどく激怒されたのを覚えています。自分の中では、これからコーヒーは一つの波がくるだろうと思っていましたが、当時は全く理解してもらえなかったですね。
—そんな頃があったのですね。エスプレッソの人気はそれから後のことですか?
エスプレッソが人気になったのは出島ワーフで本格的なイタリア製エスプレッソマシンを導入したときです。当時長崎には本格的なエスプレッソを提供する店はどこにもなく、人気はすさまじいものでした。トイレなんて行けないほどで…(笑)
忘れられないのは本場のエスプレッソを飲んだことがない方がほとんどという中、エスプレッソをオーダーしたあるご老人から「これはエスプレッソじゃない!」とお金を投げつけられた事です。当時お客さんのほとんどから「カプチーノって何?」と言われました。「ただのコーヒーでしょ?」「なんだ、カフェオーレか」とも言われて。
圧力がかかった苦くて濃くてプレマがしっかりとあるエスプレッソを「エスプレッソです」と出しても「違う」と言われてしまう時代でした。そんな中でもお客様に対して「本格的なエスプレッソコーヒーを飲んでもらいたい」「本格的なカプチーノを飲んでもらいたい」という思いは強かったので、何を言われてもこだわり続けて提供していました。
—今やAtticさんは本格的なエスプレッソコーヒーが飲めるカフェだという認識が強いですが、まだ認知されていない頃はお金を投げつけられたりした事もあったのですね。
でも、そのご老人はその後、来店して、同じようにエスプレッソをオーダーされたんです。心の中で「えー、嫌だなぁ。またお金投げつけられるかもしれないのに…」と正直思いましたが、やはり前と同じようにエスプレッソを入れお出ししたところ「ごめんね」と謝られて…。「『エスプレッソ』を私が知らなかった。ここは苦くて濃い本格的なエスプレッソを出してくれる店だったのに。君だけだよ、本格的なエスプレッソの話をしてきちんと提供してくれたのは」と言ってくださいました。
その時はとてもうれしかったですね。認知もされていないところに急に出てきて当初はいろいろ言われたりもしましたが、皆さんの中に本格的なエスプレッソが根付いてきたんだと思いました。
—喫茶店で出されるドリップやサイホンコーヒーがコーヒーとして認知されていましたが、今ではエスプレッソコーヒーもカプチーノも当たり前に知られている時代ですね。バリスタと呼ばれる人たちが出てきたのもどちらかというと最近のような気がしますが…。
私は台湾で初めて出会った本格的なラテアートに感動して何度も通い教えてほしいと伝え、習うことができました。そこから長崎に戻ってきてAtticでバリスタとして提供し始めたんです。
当時のラテアートといえば、モコモコ泡で作られるのがほとんどという中、「豆にこだわり、牛乳にもこだわって、お客さまに本格的なラテを届けたい」と、とにかく勉強してこだわったものを提供しました。本格的なラテアートはとにかく大人気でした。それから1年後、スターバックスコーヒーが現れるまでは…スターバックスコーヒーがオープンするとゼロに近いくらいになってしまいましたけどね(苦笑)
—ゼロに近いくらいになってしまったのですか?
コーヒー文化の中でスターバックスコーヒーの登場は、当時の私たちからすると今までのコーヒーのイメージがとてもカジュアルなものになっていったという感覚があります。若い世代の人たちが新しいスタイルのコーヒーを楽しむようになった時でもありますよね。
喫茶店からカフェに変わり、スターバックスコーヒーや本格的なエスプレッソマシンでコーヒーを入れるバリスタも増えました。コーヒーというものが、さらにライフスタイルの身近なものになり、世代もどんどん広がり若い世代へ親しまれるようになりました。
コーヒーチェーンの歴史を見ると時代の流れに沿って形を変えていき今のスタイルになっている。コーヒーの文化は世界ではサードウェーブ、フォースウェーブといわれていますが、日本ではこれから2番目の波が来るのではないかと思っています。
—これからコーヒーはもっと私たちのライフスタイルの中の一部になっていきそうですね
コーヒーの日本での消費量は年々増え続けていますし、これからも増え続けていくでしょう。それぞれの形でコーヒーを楽しむようになっていき、楽しみ方もコーヒースタイルもどんどん変化し続けると思います。
—最新のコーヒーに関する情報だったり、おいしい豆の選別であったり、世界の情勢や時代の流れなどはどうやって知ったり学んでいるのですか?
私は一般社団法人日本スペシャルティコーヒー協会(以下、SCAJ)のバリスタ委員会も行っており、バリスタの大会のジャッジもしています。委員会の中でも世界中のコーヒーに携わる方々とのつながりもありますので、最新の情報が入ってきます。
Atticで提供しているコーヒーはSCAJで認定されたクオリティーの高い豆だけを厳選して提供しています。おいしいコーヒーが飲めているのはそうした生産者のおかげなのですが、生産者の顔が見えてそして私たちがコーヒーを淹れお客さまの手元に届けられる。そこを大事にする必要があると思います。日本の中でもまだまだスペシャルティコーヒーが提供されている所は少ないのが現状で、生産者にクオリティーの高い豆を作ってもらえる環境を作るためにちゃんとした対価を払う必要があるという考えから、SCAJでは海外にも支部を設け、世界規模で取り組んでいます。
—コーヒー文化の広がりとともに、生産者の顔が見えるコーヒー豆がもっと皆さんのところに届けられるようになってくれるとうれしいですね。最後にずっとコーヒーに携わってきている野田さんから見て、今、「コーヒー」というものに対して思うことを教えて下さい
私はいつも「1日5分でもいいからコーヒーと向き合う時間を作ってほしい」と話しています。もちろん、おいしいコーヒーを楽しんでいただきたいという思いもありますが、そうではなく、一日の中で5分、自分と向き合う時間を作ってもらいたいなと。その自分と向き合う時間の中にコーヒーが入ってくれたらうれしい。コーヒーがそんな存在になってもらえたら、と思っています。
—コーヒーが自分の大事な時間の1コマに自然とそこにある。とてもすてきですね。これからもコーヒー伝来の地長崎で本格的なコーヒーを皆さんに届けてください。今日はコーヒーの歴史から現代に至るまでのいろいろな話を聞かせていただきありがとうございました。
こちらこそ、ありがとうございました!