好文堂書店(長崎市浜町)で9月5日、「幕末の奇跡~黒船を造ったサムライたち」の出版記念講演会が開かれ、元学芸員など15人が聴講した。
同書は幕府が設けた長崎海軍伝習所を舞台に活躍した人物や当時の状況を、「蒸気船」をキーワードに描く歴史解説書。著者の松尾龍之介さんが「海軍伝習所に関する書物があまりにも少ない」と一念発起して書き上げ、今年7月に弦書房(福岡市中央区)から出版した。
同店万屋町側入り口の小さなスペースで開かれた講演会には、元学芸員など歴史好きな人を中心に15人が参加。松尾さんは冒頭でホワイトボードに「西川如見」と大きく書き、「私が東京でこの人に出会ったことが一連の本を書く動機につながった」と紹介した。
西川如見(1648年生~1724年没)は江戸時代中期の天文学者で、長崎の商家で生まれ育った人物。25歳で天文学や測量学などを学び、48歳(1695年)の時に日本初の世界地誌「華夷通商考」を書いた。61歳(1708年)で「増補華夷通商考」を刊行し、南北アメリカを日本で初めて紹介したほか、多数の著書を刊行している。
松尾さんは如見の「増補華夷通商考」の漫画版「江戸の世界見聞録」を刊行したと紹介。「長崎には如見のような天文地理学の祖がいるかと思えば、志筑忠雄というとんでもない天才もいた。江戸時代にニュートン力学を理解していた人物で、オランダでは現在でも子どもから大人まで広く知られている。それなのに地元長崎では、ほとんど知られていないことが悔しい」と松尾さんが話すと、会場ではうなずく人も。
松尾さんはホワイトボードに「when」「where」「who」「what」「why」と書きながら、海軍伝習所について「いつですか」と聴講者に尋ねた。回答を待って「1856~1859」と追記した後、「where」には現在の県庁、「who」には幕臣の息子、地役人、他藩の藩士と書き込んだ。
「なぜ黒船を作るのに、アメリカやイギリスではなくオランダに教えてもらうことを選んだのか」という場面では「まずは高圧的なペリー艦隊の態度が気に入らなかったこと。そしてオランダ貿易が落ち込んでいた出島商館長に打診して利害が一致したから」と持論を展開。歴史好きの聴講者との間で活発なやり取りが行われた。
長崎製鉄所を「製鉄所というより機能的には鉄工所」と紹介した松尾さんは「当時の製鉄所の外には蒸気機関が備えられており、外からシャフトを使って回転動力を室内に取り入れる。それをベルトで各機械に伝えている」と説明し、古い証拠写真を披露した。さらに「これとほぼ同じものがアメリカにもある」と咸臨丸(かんりんまる)で米国に渡った「万延元年遣米使節」がフィラデルフィアの工場を見学した時の古写真と比較。両方とも同じようにシャフトとベルトが確認できる。
「1860年のほぼ同時期に、アメリカにある最先端の工場と同等のものが長崎に存在した。これが後の富岡製糸工場へとつながる。もし残っていれば間違いなく世界遺産。このすごさが分かりますか」と参加者に問い掛けた。長崎製鉄所は現存せず、機械の一部だけが三菱重工業長崎造船所資料館(飽の浦町)に保管されている。
講演後は田中康雄・長崎経済新聞編集長を交えて座談会を開き、卓越した実力がありながら最後は「憤死」した水野忠徳のことや、「これだけ多くの人物を輩出しながら、なぜ長崎海軍伝習所については書籍が少ないのか」など、活発な意見交換が行われた。終了後はサイン会が開かれ、サインをもらった書籍購入客と松尾さんとの間で「歴史談義」が続いた。聴講した長崎在住の漫画家・マルモトイヅミさんは「知らないことが多く、面白くてついつい声が出てしまった。もっと詳しい話を聞いてみたい」と話す。
松尾さんは「短時間では語り尽くせないが、久しぶりに楽しかった。これからも長崎の埋もれた歴史を知ってもらうための活動を続けたい」とほほ笑む。