長崎で二人芝居「演劇で伝える長崎の歴史」 市民劇活動のPRで

公演の1シーン

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 諏訪神社の大鳥居近くにあるカラオケバー「こころ」(長崎市馬町)で1月26日、二人芝居「演劇で伝える長崎の歴史」が開催される。

千々石ミゲルの墓所と思われる石碑

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 諫早市で劇団「エヌケースリードリームプロ」を営む渡邉享介さんとメンバーのやまもとあかりさんが演劇ユニット「梅とチーズ」を結成。今年5月上旬に公演予定の諫早市民参加劇「多助ぼっさん~土橋貞恵翁物語~」をPRするため、過去に公演された演目を二人芝居で表現する。ユニット名は渡邉さんの大好物が大宰府天満宮の名物「梅が枝餅(うめがえもち)」であり、やまもとさんの大好物がチーズであることに由来する。

 第1部の演目は「千々石(ちぢわ)ミゲルの謎~墓石発見~」。千々石ミゲルは、安土桃山時代から江戸時代初期に実在したキリシタンの武士で、本名は紀員(のりかず)。肥前国領主の千々石直員の子どもであり、日本初のキリシタン大名で長崎港を開いた大村純忠の甥に当たる。

 物語は約13年前、千々石ミゲルの墓と思われる石碑が諫早市多良見町で発見された実際のニュースから始まる。天正遣欧少年使節団の一人としてヨーロッパに渡り、本場のキリスト教文化を体験してローマ教皇グレゴリウス13世にまで謁見したミゲルは、4人の使節の中で唯一棄教する。現在でも謎が多いミゲルが、周囲から「裏切り者」「鬼の子」「枯れない雑草」と呼ばれてまで「なぜ棄教したのか?」に迫る。

 史実では帰国前の1587年7月、豊臣秀吉がバテレン追放令を発布。ミゲルは帰国後の1601年に棄教を宣言してイエズス会から除名処分を受け、千々石清左衛門と改名して従兄弟の大村喜前が藩主を務める大村藩に仕える。清左衛門は伊木力(いきりき=諫早市多良見町の一部)に領地を与えられ、息子の千々石玄蕃が立てた墓所と思われる石碑が、2003年に伊木力で発見された。

 第2部は「諫早眼鏡橋 今昔物語~ミニ眼鏡橋の帰還~」。一般には長崎市内の眼鏡橋が有名だが、諫早公園(諫早市高城町)内の池に架かる眼鏡橋は、石橋としては日本初の国の重要文化財(1958年指定)。幕末の1839年、公園から500メートルほど離れた本明川(ほんみょうがわ)に架橋された眼鏡橋の長さは約49メートル。長崎の眼鏡橋の約2倍に相当する。何度架橋しても強い雨が降るたびに橋が流されていた江戸時代の人たちが「水害でも流されない橋」を目指し、長崎の眼鏡橋(1634年架橋。1960年に国の重要文化財指定)を参考にして作ったという。

 1957(昭和32)年、眼鏡橋は諫早大水害でも欄干の一部が損傷しただけだったが、その頑丈さが仇となり、流木やがれきを止めて被害を拡大させ、結果的に死者・行方不明者580人以上の犠牲を出したとの指摘を受けた。水害後の復興策で爆破解体などの案も浮上したが、当時の野村市長は「町のシンボルであり文化財として保存する」と強調。さまざまな働き掛けが行われた結果、1958(昭和33)年に国の重要文化財に指定された。1959(昭和34)年から翌年にかけて諫早公園への移築工事が行われたが、組み立ては容易ではなく、5分の1スケールの「ミニ眼鏡橋」を作って移築実験が繰り返された。

 渡邉さんは「音響効果なし、照明効果もなし。人間の力だけで長崎の歴史を表現する。二人芝居をきっかけに、演劇による社会貢献を目指す活動に興味を持ってもらえれば」と力を込める。「PR活動のため出演料は不要。今回のように二人芝居の舞台を提供していただける方は、ぜひ声を掛けてほしい」とも。

 第1部は18時30分、第2部は19時30分開演。参加費は各部500円(1ドリンク付き)。2部連続観劇は800円(2ドリンク付き)。定員=20人。

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