長崎・浜市アーケードなどの繁華街で11月12日、きらびやかな「花魁(おいらん)道中」が行われた。
今年17回目を迎えた「ながさき丸山華まつり」の一環。1999年10月に小説「長崎ぶらぶら節」が文藝春秋から刊行され翌年に映画化されたことや、1700年創建の梅園天満宮(長崎市丸山町)が300周年を迎えたことから、「花魁道中を復活させよう」との機運が高まり、2001年に初開催された。
今年の「華まつり」では花魁道中に先駆け、11月3日から5日にかけて料亭・青柳(丸山町)で天満宮に奉納されている「梅園天満宮縁起絵巻」開帳が、11月11日は長崎検番(芸妓の事務所)の踊り奉納がそれぞれ行われた。梅園天満宮は昭和40年代までは丸山の芸妓たちのほとんどが参拝しており、境内に現存する「梅の玉垣」の中に自分たちが食べた梅干しの種を「身代わり」として納めていたという。
正午、天満宮に参加者全員で参拝して行事の無事を祈願した後、10年ほど前から「女みこし巡幸」を担当する長崎女子高校龍踊り(じゃおどり)部員たちがスタンバイ。花魁に扮(ふん)した2人の女性が人力車に乗り込み、笛や太鼓に先導されながら花魁道中が出発した。昨年から地域学習の一環として参加している長崎純心大学の女子学生たちは、長い綱を持って行列を囲みながら同行。行列は梅園天満宮から丸山交番前を通って思案橋交差点を渡り、浜市アーケードへ向かった。花魁は浜市アーケードの石丸文行堂(浜町)前で人力車から降りて三枚歯の高げたに履き替え、付き添いの女性の肩に手を添えながら花魁独特の足運び「外八文字(そとはちもんじ)」を披露した。沿道には多くの人が詰め掛けて、きらびやかな花魁の姿を撮影していた。披露が終わると一斉に大きな拍手が起こった。
その後、観光通りアーケードを抜けた行列は中通りへ。お旅所の古川町天満宮(古川町)では、先に到着した花魁行列に「女みこし」が合流して境内にみこしを納めた後、全員で参拝。同所でも多くの観客が見守る中、花魁の外八文字が披露された。
行列は江戸時代に丸山の芸妓が参拝していたと伝わる延命寺(寺町)を訪れ、門前に集まった観客たちに外八文字を披露した後、反対方向から再び中通り商店街を通って眼鏡橋へ向かった。たまたま訪れていた国内外の観光客たちが、眼鏡橋の上で外八文字を披露する花魁に夢中でカメラを向けていた。行列は再び中通りを抜けて観光通り前で右折。りかちゃん通りを抜けて浜市アーケードから思案橋を渡り丸山公園で記念撮影した後、梅園天満宮で無事終了したことを神前に報告。境内で直会(なおらい=祭事が終わってから供物を下げて行う宴会)を開き、「お疲れさま。来年もよろしく」と互いの労をねぎらって解散した。
同祭りの発起人で丸山町自治会長の山口広助さんは「くんちの各踊り町の皆さんに手伝っていただき、紆余(うよ)曲折を経ながらも手作りで17年間続けてきた。女性の祭りは華があって楽しい。運営はなかなか大変だが、これからも続けていきたい」と力を込める。