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梅屋庄吉のひ孫が長崎東中・高で講演会 国際交流の在り方伝える

講演を行う小坂文乃さん

講演を行う小坂文乃さん

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 長崎東中学校・高校(長崎市立山5)で1月27日、小坂文乃さんによる講演会「梅屋庄吉と孫文の友情から学ぶ 時をつなぐ交流の在り方」が行われた。

真剣な眼差しで話を聞く生徒

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 小坂さんは、1903(明治36)年に日本で初めて西洋式庭園として誕生した日比谷公園の園内に開園と同時に開業した洋風レストラン「日比谷松本楼」の4代目社長。12歳から6年間イギリス留学を経験し、立教大学卒業後に会社員を経て24歳のとき同社に入社。2017(平成29)年に社長に就任している。中国の辛亥革命の指導者である孫文を生涯にわたり物心両面で支援し続けた、長崎出身の実業家・梅屋庄吉のひ孫でもあることから、社長業の傍ら2008(平成20)年から梅屋庄吉と孫文生涯の友情を伝える活動を続けている。

 会場となる視聴覚教室に国際科の2年生と各クラスの代表約100人が集合。中学1年~高校2年の約900人が各教室でオンラインを通して聞いた。

 講演会ではまず、梅屋庄吉と孫文の生い立ちから出会いまでのエピソードを紹介。香港に梅屋が開業した写真館「梅屋照相館」の顧客だった英国人医師ジェームス・カントリーを通じて出会った梅屋と孫文は意気投合し、「君は兵を挙げよ。我は財をもって支援す。」という盟約が交わされた背景には、困った人を放っておけない梅屋の性格と梅屋が14歳のとき上海に、孫文が12歳でハワイに渡ったことで広い視野を持っていたという共通点を挙げた。

 梅屋は白瀬矗率いる南極探検隊に同行撮影した日本初のドキュメンタリーフィルム「日本南極探検」(1912年)をはじめ数百本の映画を手がけ、映画会社「日活」の礎を築いた。映画ビジネスで成功を収めた梅屋は莫大な財を革命の資金として提供。フィリピンやインドの革命家への支援を行っている。

 梅屋は1894(明治27)年に妻・トクと結婚。2人は孫文と宋慶齢の仲を取り持ち、結婚に導くなど深い関係を持っていたことも紹介した。講演の最後に小坂さんは「国際交流で大切なことは目的を持つことと語学だけでない大切なものがある。自分の国や自分自身のことを語れることも大切で、そのためには文化や歴史を学び、他国の習慣などを受け入れる柔軟さも必要」と締めくくった。

 その後、中国語専攻の生徒と郷土研究部員との対話会も行った。対話会では、梅屋庄吉のことを学んでいる郷土研究部員らが「梅屋庄吉の素質」について発表。梅屋の豪胆で正義感に満ちた性格が孫文との互に相求める必要がない「真朋友」の関係に結びついたことを紹介。2人の関係について両国民が理解を深めることで、友好関係もより深いものになることを目指していきたいと締めくくった。

 対話会では、生徒から「中国の人が日本人をどう思っているか」「日中戦争などの歴史を持ち出して批判されてしまいそう」などの意見が出た。小坂さんは「中国の人にとって日本に対する憧れはある。日本人は討論の場で自分の意見を言うのが苦手な部分がある。戦争という悲しい歴史もある反面、梅屋庄吉と孫文のように助け合ってきた歴史もある。この歴史を学び紹介することで、これからも助け合う関係を築くために働きかけてほしい」と生徒らにエールを送った。

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