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長崎の「一人で運営する小さな斎場」が1周年-代表はJALの元空港スタッフ

祭壇の前に立つ御手洗代表

祭壇の前に立つ御手洗代表

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 長崎市南部の山間部にある家族葬専門葬儀場「メモリアル布巻斎場」(長崎市布巻町、TEL 095-833-7444)が開業1周年を迎えた。

斎場の全景

 代表で長崎県対馬市出身の御手洗(みたらい)千世さんは日本航空(JAL)の元空港スタッフ。昨年5月、同所を前事業者から引き継いでリニューアル開業した。寝るときも仕事の電話を携帯電話に転送して枕元に置き、24時間体制で葬儀の段取りからひつぎの運搬、霊きゅう車の運転に至るまでたった一人で全てを切り盛りしている。

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 「今から29年ほど前、JALに入社して2年目の夏の出来事で私の死生観が大きく変わった」と振り返る。同社には紺と赤、2種類の制服がある。その日たまたま紺の制服を着ていた御手洗さんは、上司から「日航機が御巣鷹山に墜落した」と聞かされた。「今から遺族かもしれない人たちが5組やって来る。紺の制服を着ている君は、その世話係をするように」と上司の命令で貴賓室に待機した御手洗さんの前に、泣き崩れたり、険しい表情でにらみつけたりする人たちが次々に駆け付ける。テレビの報道で名前が出る度に、その中の誰かが大きく泣き崩れ、その人をいたわる人や、持って行き場のない怒りをぶつける人たちの生々しい光景が目の前に広がったという。御手洗さんは誰からも対応のアドバイスを受けられず貴賓室に一人放置された。「謝ることもできず、声を掛けることもできず、寄り添ってあげることもできない。21歳の私は黙ってお茶を入れ、目を伏せながら交代までの3時間。ただただ、その場に立ち続ける以外に何もできなかった」と当時を振り返る。

 2009年、大好きだった父親の葬儀で400人の参列者の相手をし、同年に祖母、同級生の葬儀に立ち会った。いずれも葬儀社の人は親切だったが「何となくレールに乗せられている感じが否めなかった」という。JALでは皇族や政府要人の接遇などを担当。勤務年数は25年に及んだが、心の中に抑えきれない思いがあった。「自分が培ってきた接遇力を悲しみの中にある遺族のために使う事ができないか」と考えていた御手洗さんは思い切ってJALを退職。福岡市内で葬儀社に派遣のアルバイトに行ったり、葬儀社に就職したりして葬儀についての知識や経験を磨いた。昨年春、「長崎市布巻町で葬儀社を経営する人を探している」という情報を入手。運命を感じて勤めていた葬儀社を辞め、福岡市から移住した。あまりにも短期間に物事を進めたため、住むところを確保できなかった御手洗さんは、しばらく斎場の裏に寝泊まりしたという。

 「人生にはいろいろなことが起こる。しかし、どんな出来事も何かを教えてくれるから決して無駄ではない」と言い切る御手洗さん。「それでも長崎に来たころは見知らぬ土地で知人もいない。その上、仕事は全く思い通りにならないことばかり。最初は後悔しながら毎日一人で泣いていた」と打ち明ける。その後、知り合いが増え、協力者も増えてきた。家族葬専門ということもあり、今ではさまざまな事情を抱えた人たちからの相談が多いという。

 誰もが安心して利用できるようにと、先月できたばかりのホームページには斎場の利用料金を細かく明示した。4月27日には「終活セミナー」を開催。フェイスブックの仲間など多くの人が集まり、小さな斎場が人であふれた。「マナー講師」「終活カウンセラー」などの資格を持つ御手洗さんは、その強みを生かして「断捨離のすすめ」「遺影撮影について」「エンディングノート活用法」などを伝授。多くの参加者から「また開いてほしい」というリクエストも寄せられたという。

 「終活セミナーは3カ月に1度のペースで開きたい。小さな斎場で不便な場所だが、気になる人は気軽に電話してほしい」と呼び掛ける。