長崎ブリックホール・大ホール(長崎市茂里町)で9月15日、「九州ハンドベルフェスティバル」が開かれる。主催は日本ハンドベル連盟九州支部と長崎ハンドベルコミュニティー。
日本ハンドベル連盟の説明によると、ハンドベルは17世紀ごろのイギリスでキリスト教会の技巧練習用に生まれた楽器で、正式には「イングリッシュ・ハンドベル」という。中にあるクラッパーと呼ばれる振り子が金属をたたいて音を出す仕組みで、ベルを振る度に一度だけ鳴るようにクラッパーは一方向にしか動かない。福引などで鳴らす鐘とは仕組みが異なる。
一つのベルは一つの音しか出せないので、曲を演奏するには2オクターブ(25個)から6オクターブ(73個)のベルを用意。1人で4個~5個を受け持つため、音域によって8人~15人でチームを編成する。リンガー(演奏者のこと)は全員が異なる音を受け持つので、演奏時には1人の欠席も許されない。練習や演奏することで責任感、集中力、協調性を養うことができるという観点から教育楽器としても注目されている。
400年以上の歴史を持つ楽器ながら日本に導入されたのは第二次大戦後。宣教師が日本に紹介し、1976(昭和51)年に日本ハンドベル連盟が創立された。同連盟は2012年2月にNPOとして認証を受けている。長崎では連盟創立の前年に当たる1975(昭和50)年、活水中学・高校(宝栄町)で音楽教師だった小國(おぐに)公子さんの元に米国留学中の同僚教諭から1本のカセットテープが送られてきたのがきっかけ。テープにはクリスマス礼拝での賛美歌のハンドベル演奏が録音されており、小國さんは「初めて耳にするハンドベルの音の素晴らしさにすっかり魅了された」と振り返る。
「幻の楽器」に魅了された小國さんは、ハンドベルを音楽教育に導入しようと同学院長や校長へ直談判。3年後に学院創立100周年を控えていることも幸いし、記念事業の一環としてマルマーク社のハンドベル(3オクターブ)が購入された。1977(昭和52)年から本格的に練習を始め、翌年には日本ハンドベル連盟に加入。1985(昭和60)年には社会福祉施設の「みのり園」が同連盟に加入して新しいチームが加わっていった。1986(昭和61)年8月には第2回ハンドベル世界大会が静岡市で開催され、終了後に多くのチームがそのまま長崎に移動。活水中学・高校のチャペルで「ハンドベル世界大会長崎コンサート」を開催。イギリスやアメリカ、日本のいろいろな地域のチームと長崎のチームが競演した。みのり園の演奏にはほとんどの参加者が感動し、外国チームの指導者は「長崎には世界の宝がある」と激励したという。
その後、一般市民にもハンドベルを楽しんでもらおうと9つのロータリークラブの支援を得て4セット(5、4、3オクターブ)のハンドベルとクワイヤチャイム(4オクターブ)の計5セットを長崎市に寄贈。長崎ブリックホールの完成を待って1999年にハンドベル教室を開いた。
長崎ハンドベルコミュニティーは長崎市内で活躍する14団体で構成。1990(平成2)年の発足から演奏活動や普及活動に力を入れている。同コミュニティーの福田恵子事務局長は「現在、コミュニティーには小学生から70代の方までおよそ200人が参加している。私は以前、ピアノ演奏をやっていたが、ハンドベルの音色の美しさに魅了されて15年続けている。1人では演奏できないことが仲間との連帯感をより一層強くする。しかし実は、人数がそろわないハプニングは日常茶飯事。いつもひやひやしながらピンチを切り抜けるのもチームワークの醍醐味(だいごみ)かもしれない」と笑う。
今大会は同コミュニティーの結成25周年記念「ハンドベルフェスタ in 長崎」を兼ねており、九州各県から36チームが参加するが3分の1に当たる12チームを長崎勢で占める。12時の演奏開始から終演予定の17時30分までおよそ5チームごと7部構成で進行する。「チームにはそれぞれ特徴があり、今回は普段聞けない県外チームの演奏が聞けるのが魅力」とも。演奏曲は人気の映画「アナと雪の女王」の挿入歌「Let it Go」をはじめ、クラシックから「長崎ぶらぶら節」まで、さまざまなジャンルの曲が演奏される予定。
福田さんは「ハンドベルを続けてきた中で一番印象に残っていることは、養護施設で演奏した時に重度障害で普段無反応の子どもが初めて反応したと施設関係者から知らされたこと。演奏したのは自分たちだが、それを超える何かが奇跡を起こしたような気がした。一番うれしいできごとだった」と振り返る。
11時30分開場、12時開演。入場無料。