長崎在住のライター、T・斎藤(てい・さいとう)さんが9月、長崎電気軌道(以下、長崎電鉄)のホームページで発見した「線路および停留所変遷図」を基に消えた線路跡を実際に歩いてリポートする記事を紹介した。
斎藤さんは1971(昭和46)年、茨城県つくば市出身。大学でコンピューターエンジニアリングを学んだ後、コンピューター関係の企業に就職。2001年、結婚を機に長崎へ移住した。エンジニアの仕事を続けながら2003年、関東人から見た「長崎の面白さ」を首都圏の人たちへ向けて発信するための個人サイト「ながさきガイド」をスタート。翌年には人気情報サイト「デイリー・ポータルZ」の記者活動も始めた。
「記事のネタ探しで長崎電鉄のホームページから『ビール電車』の情報を調べているうち、長崎西洋館(川口町)にある『長崎路面電車資料館』を紹介するページで『線路および停留所変遷図』がダウンロードできることを知った。これは面白そうだと思い、印刷して実際に消えた線路跡を歩いて確かめてみたくなった」と振り返る斎藤さん。同サイトで主に金曜日の記事を担当する斎藤さんは9月12日、「線路跡めぐり」と題して同社の線路跡を実際に歩いてリポートする記事を掲載した。
変遷図には現在の線路や停留所と、廃止された線路跡や停留所跡が色分けして掲載されている。斎藤さんは同図を基に「線路跡巡り」を浜口町電停からスタート。現在、大学病院前電停に向かって緩やかに右カーブしている線路は、以前は長崎大学歯学部へ向かう通りに沿ってまっすぐ伸びていたという。当初の計画では長崎西洋館の建物内部に作るはずだった現在の浜口町電停が、許認可の関係で館内に作れなかったことも紹介。電停計画の名残と思われる建物内部の写真も掲載している。
「変遷図によると、大正4年に『病院下~築町』区間が開通したのが路面電車の始まり。この路線は昭和20年に廃止されているので原爆の影響ではないかと思う。昭和22年には今の国道沿いに新しい電停が作られている」とリポート。「病院下」電停は、現在の歯学部前交差点付近と思われる。旧路線は原爆遺構の「片足鳥居」の下まで現在の道路に沿って伸びているが、ここからは緩やかな右カーブを描きながら浦上駅方向へまっすぐ伸びている。現在は区画されてさまざまな建物が立ち並ぶエリアのため、線路があったことを思わせる形跡はほぼ見当たらない。
斎藤さんは「恐らく原爆の被害が激しかったためリセットされたのだろう。原爆投下前の航空写真を見ると、道路の形も現在と異なる」と解説する。浦上駅から先は、国道に沿って伸びる現在のルートとは違い、JR(当時は国鉄)の線路に沿って長崎駅付近までまっすぐ伸びている。
リポートは2ページ目で桜町電停付近を紹介。トンネルをくぐり公会堂前まで伸びている現在のルートではなく、長崎放送(上町)の前をほぼL字形に登った後、県庁通りと交差して勝山市場の狭い通路の中を通って下る。リポートは勝山市場を側面から見て、勾配を確認する写真も掲載。トンネルが開通した1954(昭和29)年に現在のルートに変更されていることも紹介する。
斎藤さんが「個人的にはここが見どころ」と力説するリポート3ページ目。「電車と一緒に走れる道」として「史跡出島」沿いを走る現在のルートを紹介している。「車と電車が同じ所を一緒に走るという珍しいエリア。車が路面電車の後ろについて走ったり、一緒に信号待ちしたりすることもある。初めて自分の運転でここを通った時は、間違っていないか結構不安になった」と当時の心情をつづる。
現在は市民病院前電停から築町通りに右カーブするルートは、史跡出島方向に伸びる道路に沿って線路がまっすぐ走っていたと説明。現在のルートと直交するところにあった千馬町電停(廃止)と出雲町電停(現在の石橋電停)を結ぶ路線として1916(大正5)年に開通した。1961(昭和36)年に現在のルートに変更されると同時に千馬町電停も廃止されている。
同社経営企画室長の松坂勲さんによると、同図は1985(昭和60)年に発行された社史「ふりかえる20年のあゆみ」に掲載されたもの。「1914(大正3)年創業から50年経った昭和40年代に50年史を発行したので、その後の20年史に掲載した。斎藤さんの消えた線路跡リポートを私も楽しく読ませてもらい、図面だけでは分からないところが勉強になった。勝山市場を降りて今のルートと交差するあたりに電停があったらしいので、あの短い道路の幅が異様に広い理由が何となく推測できた」とほほ笑む。同社のホームページは2000年に開設。同図のほかにも印刷して遊べる「電車ペーパークラフト」のダウンロードデータや電車規格、電停間の距離を計測した一覧表などを掲載。電車グッズの通信販売も行っている。
「電車の運転士になるには筆記と実技の国家試験がある。その間には実習期間もあり、免許を手にするまで9カ月ほどかかる。自分たちには当たり前のことだが、こんな情報でも喜んでもらえることに驚くことがある」と話す松坂さんは、1994年の入社以来、200人ほどの家族的な雰囲気の会社で楽しく働いているという。「実は変遷図を掲載した社史は非売品のため倉庫で大量に眠っていた。このまま読まれなければ意味がないので社史も通販で売ることにした。興味がある人はぜひどうぞ」とも。