チトセピアホール(長崎市千歳町)で1月17日、広島在住のシンガー・ソングライター・二階堂和美さんのコンサートが開かれた。
二階堂さんが長崎でコンサートを行うのは8年ぶり2回目。ロビーには開場時刻前から障がい者を支援するNPO法人「Tsunagu Family」の関係者など100人ほどが集まり、熱気に包まれた。
その後も訪れる観客らが受け付けを済ませてホール内に進むと、通常の椅子席とは別にステージ下に子ども向けのプレーマットを敷き詰めた観覧席も。出口亮太館長が「座って見たい方は靴袋をご利用ください」と袋を配りながら呼び掛け、未就学児を連れた親子らが靴を脱いで座った。
開演時刻になると、暗転したステージ上手(かみて、客席から見て右側)から二階堂さんとピアニスト、ベーシストが登場。軽快な曲を披露した後、「8年ぶりの長崎。楽屋で吉宗(よっそう)の茶わん蒸しがおいしくて、来たかいがあった」とあいさつし、観客らをどっと笑わせた。二階堂さんは「叔父と叔母がいる長崎にはたまに来る。全国ツアーでは外してごめんなさい」と笑いを誘う。ステージ上の背景にはNPOのメンバーらがワークショップなどで制作したアート作品が飾られ、「衣装の柄も背景に合わせてみた」と、おどけたポーズで再び笑わせた。
その後、ユーモラスなトークを交えながら麦茶のCMやラーメンのCMのせりふを披露。映画「かぐや姫の物語」に関わった裏話の紹介や、珍妙なポーズをしながら軽快に歌い踊る姿に会場内は笑いであふれた。
子ども向けテレビ番組に登場する「ショキ ショキ チョン」は、散髪が嫌いな子どものための歌。二階堂さんのユーモラスなしぐさに釣られて「ショキ ショキ チョン」と小さな子どもたちが踊り出す。泣き出す子どもがいても何事もないようにステージは続き、次々に起こる笑い声とともに泣き声はやがてやんだ。第1部は「ケ・セラ・セラ」など数曲を披露して45分ほどで終わり休憩へ。
第2部はステージ上に二階堂さんの姿がないまま、長崎市民が耳慣れた前奏をピアノとベースが鳴らし始めた。観客らが姿を探すように視線を泳がせる中、客席真横にある中央ドアが開き、スポットライトに照らされたのは白いドレス姿の二階堂さん。
「あなた一人に、かけた恋」の歌い出しとともに拍手が迎え、歌い終えた二階堂さんは「やっぱり長崎は今日も雨でした」と笑わせる。
ひとしきり続けたトークを「男はつらいよ。いいえ、女はつらいよ」と結ぶと、自身の曲「女はつらいよ」を歌い出した。熱唱しながら観客一人一人に右手を差し出し、両手で握り返す観客から笑顔がこぼれる。気づいてもらえず手を振って催促する人も。会場を一回りしてフルコーラスを歌い終えた二階堂さんはステージに戻った。
「広島に育った者として、思いは長崎の人と同じ。今という時代を大人として生きる私たちの責任を感じる」と静かに語り、昨年発表した「伝える花」など2曲を歌唱。「何もなくなった、全て消えてしまった」と歌い出し、多くの人が目を閉じうなずきながらじっと聴いていた。
「今日は阪神淡路の震災の日」と語り、「大きくなれ願いを受けて」と口ずさみ始めた二階堂さんはオリジナル曲「私の宝」を歌唱した。アンコールでは「愛の讃歌(さんか)」を大胆にアレンジして軽快な手拍子を巻き起こし、トランペットの口まねを添えてルイ・アームストロングの「What a wonderful world」を熱唱。息を切らせながら最後のあいさつをする二階堂さんに大きな拍手が送られた。
ロビーではCDやグッズ販売に多くの人が並び、サイン会ではすでに所有する二階堂さんのレコードなどを持ち込んでサインを求める人も。うれしそうに記念撮影や握手を求める人たちの長い列が続いた。
出口館長は「実は以前からの大ファン。思い切って公演をお願いしたところ快く引き受けていただき、一番楽しんだのは自分かもしれない」とほほ笑み、持参したレコードを差し出してサインを求めた。
二階堂さんは「私は仏教寺院の実家で生まれ育った。昨年は被爆70年の節目ということもあり、大きなメッセージを伝える使命を感じる年齢になったように思う。焼け野原に咲いた花を歌った『伝える花』の生命力は希望。ぜひ皆さんに歌ってほしい」と力を込める。