長崎在住の女性が12月25日、タイピントギャラリー(長崎市樺島町)から戦中戦後の波乱万丈な自伝「何とかなるさ」を自費出版した。
作者の永田和代さんは1933(昭和8)年生まれの80歳。旧満州国奉天市(現中国・瀋陽市)で生まれ育ち比較的裕福な生活をしていたが、小学校6年生の時の敗戦を境に生活が一変。1946(昭和21)年夏に何とか日本にたどり着くまでの1年間を、眼前で略奪、殺りく、暴動が起こる中国大陸で命の危機を幾度となく乗り越えながら生き延びた。その間には学徒動員で奉天に送り込まれ、敗戦を機に行き場を失った日本の若者30人を居候として父親がかくまったり、ロシアの脱走兵が複数逃げ込んできて、良心の呵責(かしゃく)を感じながらも彼らの略奪品で生活したり、そのロシア兵が仲間のロシア兵を射殺する事件が起こったりする。
日本に帰ってから母親の実家がある島原半島南部の西有家町に身を寄せた後は、17歳で博多の姉を頼り米軍基地でウエートレスとして働き始めた永田さん。その後、基地内の金融会社に就職するが2年ほどで閉鎖。やっとの思いで小さな商社に入るも突然肺結核にかかり入院を余儀なくされる。しかし当時の健康保険制度で初診料の50円以外は食事を含む入院費、治療費がほぼ無料。しかも傷病手当として給料の4割、会社からも給料の5割が支給されるという幸運に恵まれる。25歳で結婚するが、わずか2年弱で夫が病死。52歳で右の乳がん、58歳で左の乳がんと2度の手術を経験したが、悲壮感を感じさせない語り口で淡々と書きつづられているのが同書の特徴。
編集を担当したマルモトイヅミさんは「永田さんにはガンガン朱を入れて原稿の表現を直してもらったり、当時を物語るすごい写真を選び出して使わせてもらったりと、お互いヘトヘトになるまでぶつかりあったので面白さは太鼓判。本当は壮絶な話なのに、不謹慎ながら笑える」と話す。マルモトさんは長崎在住の漫画家で「ペコロスの母に会いに行く」の原作者・岡野雄一さんがタウン誌の編集長だった時代の元同僚。「ペコロスは映画になったけど、ひょっとしたらこれは連続ドラマになるかも」とも。
20年前に定年を迎えるまで18年間、東京の会社で非常勤のインテリアデザイナーとして活躍した永田さん。傘寿の記念とボケ防止のために今回の自費出版を思い立ち、本文のほか表紙などの挿絵も手掛けた。奉天の小学校時代の同級生に出版の相談をしたところ、その同級生の高校時代の同級生が経営する同社を紹介され出版に至った。「私はいつも『何とかなるさ』という心境で生きている。戦争体験は大きかったが、人生の行方は自分自身の考え方次第でどうにでもなる。支えてくれた多くの人たちへの感謝の気持ちでいっぱい。ささいなことで自殺する若者が多い時代なので、若者にこそぜひ読んでもらいたい」と呼び掛ける。
B6版、186ページ。価格は1,575円。問い合わせは同社(TEL 095-825-4777)まで。