長崎市在住の元小学校長で長崎県サイクリング協会理事長の桑原玄治さん(73)が5月11日~23日、東京・日本橋を起点に青森まで「東北大震災巡礼サイクリングの旅」を行い、その様子をフェイスブックページに掲載した。
桑原さんは長崎東高校2年生の時、校内で開かれた自転車講習会を受講して魅力に目覚めるまで、自転車に乗ることができなかったという。長崎大学時代は夏休みや冬休みを使って「北海道一周」「九州一周」など自転車の一人旅を実行し、4年間かけて日本一周を達成。学内に自転車クラブを創設した。
大学卒業後は自転車の活動から離れて小学校教諭の仕事に専念。41歳で教頭になり48歳で校長に就任した。当時は全国最年少記録だったという。2013年3月には古希(70歳)を迎えた記念に、20歳の時と同じ自転車で50年ぶりに自転車の旅に挑戦。長崎から東京まで、50年前と同じ1400キロの行程を11日間かけて1人で走破した。
今年3月、桑原さんは「東日本大震災から5年たったが現地のことを知らない。今どうなっているのか見てみたい」という思いが募り、5月に東京から青森まで自転車で一人旅する計画を立てた。計画を知ったサイクリング仲間の下川俊介さんが桑原さんにGPS発信機を貸与。地図アプリを使って、フェイスブックページ上にリンクされたページで桑原さんが移動したルートを再現できるようにした。
5月11日、桑原さんは古希の時と同じく50年以上前に購入した愛車を整備して「輪行袋」と呼ばれる専用バッグに収め、JR長崎駅から列車で東京駅に向かった。東京駅に着いた桑原さんは自転車を組み立て、スタート地点の日本橋にある「日本国道路元標」複製(本物の元標は日本橋の国道上にある)前へ。記念撮影後、青森を目指して出発した。
「自転車の魅力は五感が直接総動員されること。風や匂いを感じながら、足を使ってこがないと前に進まない。自分の意志力が試される」と話す桑原さんは、進むペースが人によって違うため一人旅にこだわる。「50年前には稲佐山にも自転車で登った。ギアをどう選ぶかなどのトレーニングが大変役立った」とも。自転車の分解や修理技術は、乗り方を教えてもらったプロの元に通い、見ながら覚えたという。
桑原さんは日本橋出発後、千葉県方面に向かって江戸川を越え、千葉市内で最初の宿泊。翌12日は千葉市から九十九里に向かい、海沿いの国道を通って犬吠埼(いぬぼうざき)灯台で記念撮影した後、茨城県神栖市で宿泊した。翌13日は茨城県高萩市まで、14日は福島県内に入り田村市で宿泊。その後も1日当たり70キロ~120キロほどの道のりを福島県新地町、宮城県松島町、石巻市、気仙沼市、岩手県大槌町、野田村、青森県八戸市、野辺地町と進み、5月23日にゴールの青森市内に到着した。
東日本大震災で74人の児童が犠牲になった大川小学校跡(宮城県石巻市)の慰霊碑や、奇跡の一本松(岩手県陸前高田市)など、旅の途中で多くの被災施設を訪れた桑原さん。
「地元の人たちからいろいろな話を聞き、自分自身も小学校長だったこともあって胸にさまざまな思いが押し寄せた。ただ知識として知っていることと、現地に立つことは全く違う。何度も何度も手を合わせながら正直つらい旅だったが、平凡な日常がこんなにもありがたいのかと思い知ることができた」と振り返る。