パフェとグラタン専門店「ハワイ」が11月30日、出島町に移転して3周年を迎えた。
1958(昭和33)年に先代が長崎県大村市で創業した同店。1961(昭和36)年にアメリカでアイスクリームにカットフルーツなどを添えて食べられていた「サンデー」をヒントに考案した約30種類のパフェの提供を開始。当時、サンデーに倣ってカットフルーツを使ったパフェを東京・銀座の千疋屋が提供していたが、先代はケーキ店も経営していたことから、同店のパフェはゼリーやプリン、ケーキやアイスクリームといったさまざまな洋菓子を添えたもので、現在日本で提供されているパフェのルーツとなっている。
現オーナーでパフェ職人として現在500種類以上のパフェのレパートリーを持つ山口哲弘さんは、幼い頃から家業のレストランを手伝い、一度は就職したものの接客業が好きでこの世界に戻ったという。「創業した1958年は東京タワーが完成した年。当時はケーキが超高級品で、年に数回食べられるかどうかという時代だった」と時代背景を話す山口さん。パフェ発祥の店として当時から知られていた同店はソフトクリームメーカーを通じて視察に訪れた飲食関係者によって次第に全国に広がっていったといい、パフェのショーケースを写した写真が日本で最古のものとして紹介されたこともあるという。山口さんは「パフェという食べ物は日本固有のもので、フランス語の『パルフェ(ケーキを意味する)』から付けられたもの。海外では『サンデー』という名前で呼ばれるが現在の日本で提供されるようなさまざまな洋菓子が盛り付けられたものはいまだにない」とも。
大村に店を構えていた頃は約500種類のパフェと約70種類のフードメニューを提供していた。山口さんの母も実家兼店舗であったことから手伝いをしていたが、年を考え手離れさせたいと考えていたという。テナントを探していたときに出島町に手頃な空き物件を見つけ、店の雰囲気を再現できると感じたことや、長崎市内からわざわざ食べに来てくれる常連客も多かったことから長崎への移転を決めたという。国指定史跡・出島の裏に位置する店の窓からは、明治初期に建てられた、現存する日本最古のキリスト教の神学校で、出島史料館本館になっている旧出島神学校を眺めることができる。
「使える最高の食材を使って提供する」という先代のモットーを守ってきたという山口さん。移転に合わせて500種類以上あるレパートリーのパフェ中から6種類に絞り、フードメニューも人気のあったグラタンのみに絞って日替わりで提供することにした。メニューを絞ってロスを減らした反面、より最高の素材と味わいにこだわっているといい、果汁100%で仕込んだジェラートや、15年ほどかけて独自に改良を重ね、砂糖や乳脂肪に頼らずに濃厚な味わいを実現したアイスクリームをはじめ、チョコレートもカカオ豆から手作りで仕込むことから、パフェは市販のカップアイスクリーム1個分程度の砂糖しか使われていない。
「以前は12人前の巨大パフェなども手掛けていた。迫力ある見た目の反面、1段仕上げては冷凍庫に入れながら作る必要がある。それよりもおいしいと思えるものを提供していきたいとメニューから無くした」と振り返る山口さん。「パフェを作るのがいつの間にか生きがいになり、お客さんの驚きの表情を見るのが楽しみ」と笑顔を見せ、「これからも最高の素材とその味わいを生かしたおいしいパフェを提供していきたい」と意気込む。
営業時間は11時30分~19時。月曜定休(祝日の場合は翌日)。