長崎市立図書館(長崎市興善町)で12月4日、世界遺産講演会「軍艦島の保全と観光」と軍艦島の写真展が開催された。主催は軍艦島研究同好会。
パネルディスカッションの様子 (左から)後藤教授、加藤さん、中村さん
同好会は軍艦島を観光・学習・学術の場と位置付け、平和象徴の島として近代化遺産を学術研究することなどを目的に活動を行う団体。2009(平成21)年8月に長崎大学名誉教授で工学博士の後藤恵之輔さんが設立。講演会は設立10周年という区切りの年に、より多くの人に島のことを知ってもらおうと企画した。
「軍艦島の世界遺産登録その後と今後に向けて」と題して講演を行った加藤康子さんは、自身がコーディネーターとして携わった世界遺産「明治日本の産業革命遺産」について説明した。加藤さんは1863年に長州藩からイギリスに派遣され、日本の近代化の先駆けとなった長州ファイブに触れながら、世界遺産の構成資産にもなっているジャイアント・カンチレバークレーンや第三船渠などを有する三菱重工業長崎造船所について世界遺産登録につながった経緯を説明した。
「工場の電化にいち早く取り組み、国産最大の商船・常陸丸の建造や発売後間もないチャールズ・アルジャーノン・パーソンズ製タービンのライセンス生産をいち早く取り入れたことが近代化遺産として大きく評価された」と話す加藤さん。「電化には軍艦島をはじめとする炭鉱の存在があったことも大きく貢献している。近代化を目指した侍が洋式船舶機械修理技術の無かった幕末からわずか50年で大型船を建造する最新技術を手に入れたことは、まさにアジアの奇跡だった」と当時の日本の急成長ぶりや大きく貢献した軍艦島の存在について熱く語った。
世界遺産になった軍艦島について加藤さんは「人類の遺産として、どうやって未来に継承させていくかを考える必要がある。遺産価値に貢献している土台や明治期の護岸・採炭施設の保全は必須」と訴え、島のストーリーにも触れながら、「島に今も残る当時の生活用品や語り部の記憶など、できるだけ記録に残していくべき」とも。
続いて主催の同好会会長も務める後藤恵之輔さんが登壇し、「軍艦島のOUVと活用、そして課題」をテーマに講演。炭鉱内は粉じん爆発などの危険性から撮影が禁止されており、当時の様子をうかがい知る写真が残っていないことから、坑内での様子を再現したイラストで炭鉱の様子を来場者に伝えた。「軍艦島は人工島で、狭小な土地で多くの人が暮らしたことから土地や地下の活用など生活の場として世界人類にとって普遍的なことが詰まった場所」と説明する後藤さん。島のアパートに設けられた屋上庭園について、「気温上昇を抑える効果を確認した。温暖化の根本原因を断つことにもつながる」と自身の研究結果も交えながら学術研究の対象としての島の意義も説いた。島の保全が急務となっていることから1972(昭和47)年にイタリア政府がピサの斜塔の安定補強工事に対するコンペを行ったことを例に挙げ、「世界中から保全する知恵を集めることで合理的・経済的保全策が見いだせるだけでなく、島のPRや地域活性、保全基金などにもつながるのでは」とも。
最後に登壇した軍艦島の元島民・中村陽一さんは、今年6月に行われた市の報告会の内容を元に一級建築家の立場から島の保全方法について話を進めた。中村さんは、1916(大正5)年に建てられ、軍艦島と呼ばれるルーツとなっている30号棟やその次に歴史的価値のある1918(大正7)年に建てられた16号棟の保存を優先することを訴え、建物については世界遺産の本質的な価値とされていないことから「鉄骨を用いた補強では将来的に腐食し交換の必要性がある。費用対効果を考えると得策ではない」として特殊な防水材を用いた代替案を挙げ、護岸補修を最優先して行う必要性も訴えた。工事についても当時の軍艦島では狭小な土地を有効活用するために岸壁に設置されたステフレッグデリック(荷揚げ用の簡易的なクレーン)を利用して資材などを搬入し、多くの人が生活しながら同時に拡張工事が進められていたことや、坑内の現場では海水や腐食に強い松材を支柱や梁(はり)材として利用していたことを挙げ、「当時のやり方を研究して工事に生かすべき」とまとめた。より一層の観光活用を図るため、「島を俯瞰(ふかん)できる端島神社への観光ルート延長も必要ではないか」とも。
その後、登壇者3人がディスカッションを行った。直近では9月下旬の台風17号で軍艦島への上陸が禁止となっていることから、長崎市が観光消費に4.6億円の損失が発生していると試算を発表しており、復旧に向けた取り組みが急務であることを確認した。登壇者それぞれが講演で発表した内容を元に島の保全と活用に向けた解決策に向けて意見を出し合った。「近代化遺産は公害と隣り合わせだった一面もあることから、世界的には当時の状態をいかに残すかという考え方で保存に取り組んでいることを紹介した加藤さんは「美観を保つのではなく、当時の状況をいかに後世に伝えていくかが大事」という意見も。来場者を交えた質疑応答では、元島民だったという男性から「島にいたころは夏になるとダイバーが潜って護岸を修復していた。当時から護岸の保全が島の維持に不可欠だと認識されていたのだろう」と話す一幕も。
会場には軍艦島の当時と今を見比べる写真を展示し、登壇した中村さんが手掛けた在りし日の軍艦島が描かれたウッドバーニングの作品も並んだ。