伝統的な長崎町屋を復元させた「庭見せのできる家」(長崎市玉園町)で1月25日、内覧会が行われた。
築150年ほどの三軒長屋の一角に残っていた古民家を「長崎の伝統的な祭りと建築様式の関わりを残したい」と鉄川進一級建築士事務所(樺島町)が復元させた同所。一昨年に取得した家屋は戦後から商店として使われたことから増改築が行われ、アリ害で構造強度も低下していた。復元ではもとの町家の痕跡を探りながら工事を進めたという。若手建築士を招いて伝統的な土壁を塗るワークショップを行ったほか、2020年に閉業した江崎べっ甲店を解体した際に譲り受けた窓枠を設置。石灰と赤土を混ぜた「天川(あまかわ)」という接着剤で天然石を固めた伝統的な井戸が見つかったことから庭に生かし、長崎町屋の建築様式にのっとった家屋を目指し、昨年9月に完成した。
長崎は海外貿易のためにまちが造られ、キリスト教に深く関わった歴史から住民全員が諏訪神社の氏子となり、その行事に関わるようになった歴史がある。1634年に遊女が神前に謡曲を奉納したことに始まった「長崎くんち」は長崎奉行の保護の下、毎年盛り上がりを見せ、豪華絢爛(けんらん)な祭礼に発展。江戸時代は昼間に奉行所で奉納踊りの試演を行った後、踊り町の家では格子戸やふすまを外して室内を小庭まで開放し、家宝を並べて見物人に見せる「庭おろし」を行った。明治時代、10月3日に行う「庭見せ」へと変化したが、庭おろしはキリシタンではないことを証明するための意味合いもあったのではないかともいわれている。昭和初期まで長崎の市街地の大部分を占めていた町家や商家は庭見せを行うことを前提とした建築様式となっている。
長崎くんちの踊り町の一つである樺島町で生まれ育ったという同社の鉄川進社長は「全国的に古い町家を保存する動きがあり、長崎でも中島川周辺エリアでも伝統的な街並みを残す動きがあるが、外観に重きが置かれている。長崎町家の建築様式は祭りの庭見せを行う文化と融合したもので、歴史と建築の関わりを知ったことで庭見せを行うための屋内の建築様式と併せて残す必要を感じた」と振り返る。「古い建物を取り壊して建て替えるのが当たり前だったが、伝統的な建物を復元して残していく考えを広めるきっかけにもしたい」とも。
賃貸住宅として入居者を募集しているという同所。自治会や保存会活動に参加し、玉園町が踊り町になる年には庭見せを行うことが条件。鉄川さんは「町に溶け込んで住んでもらえる人に伝統や文化も継承しながら使ってほしい」と話す。