ナガサキピースミュージアムで「端島炭坑古事記」展-明治期の軍艦島をCGで再現

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 ナガサキピースミュージアム(長崎市松が枝町)で現在、端島(通称=軍艦島)を建築史と産業考古学的視点で解説するパネル展「端島炭坑古事記」が開かれている。

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 「端島」の名前が歴史に登場するのは江戸時代。江戸幕府が諸国の大名に命じて「国」単位で作成させた「正保国絵図」(1651年完成)には「はしの島」、同じく「元禄国絵図」(1697年ごろ)には「端島」と記載されている。1810年に石炭が発見されて以来、江戸時代が終わるころまで漁民たちが漁業の傍らで「磯堀り」と呼ばれる小規模の採掘をしていたが、その後佐賀・鍋島藩が採掘に参入。明治期に三菱に譲渡された。

 本格的な事業としての採掘が始まり、人口が爆発的に増加すると島は「軍艦と見まがう」ようになる。1916(大正5)年、日本初の鉄筋コンクリート造集合住宅「30号棟」が完成。全盛期には世界一の人口密度に達し、経済活動から教育、文化活動に至るまで島内で全て完結する近代都市を形成した。住民は高度な生活水準を保ち、未来志向のエネルギーであふれていたという。

 同展は端島閉山40周年記念事業の一環。三菱史料館(東京都文京区)に所蔵されている鍋島藩から譲渡された当時の資料を基に3Dコンピューターグラフィック処理を施し、当時の端島を再現して展示する。ほかにも長崎歴史文化博物館が所蔵する1862(文久2)年の古地図「彼杵(そのぎ)郡高島図」を展示。当時は岩礁の中に浮かぶ細長い小島に過ぎなかった。

 1870(明治3)年から始まった端島開発には天草出身の技師「小山秀之進」が活躍。「棟梁(とうりょう)」または「請負方」と呼ばれ、現在でいうゼネコンの代表をしていたと考えられている。小山はその後、国宝・大浦天主堂やウォルト邸、リンガー邸の建築を手掛け、高島の開発にも関わった先駆者だが現在ではほとんど知られていない。三菱が事業を引き継いでからは欧米で製鉄技術を学んだ長谷川芳之助という技師を雇用。その後の活躍で日本の製鉄業の礎を築いた重要人物にも関わらず、小山同様現在ではほとんど知られていない。同展では彼らの功績についても触れている。

 展覧会責任者で一級建築士の中村享一さんは「端島は世界遺産候補の暫定リスト入りを果たしたが、その勃興期の功績はまだ明らかになっていない。本パネル展では黎明(れいめい)期の歴史を見せるとともに、島の開発や日本の近代化に大いに貢献しながら忘れ去られた優秀な人材を再評価する場を提供したい。協力いただいた三菱史料館や長崎歴史文化博物館に深く感謝する」と話す。

 開館時間は9時30分~17時30分。入場無料。5月11日まで(4月28日、5月7日は休館)。

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