出島表門橋架橋プロジェクト事務局は、一般初公開となる大島造船所(西海市)構内での橋梁(きょうりょう)部製作工程を見学する「現場見学ツアー」を来年1月28日に実施する。
出島は1922(大正11)年に国の史跡指定を受けており、長崎市は原爆投下からわずか6年後の1951(昭和26)年に出島整備事業に着手した。1996年3月に策定された「出島復元整備計画」に基づき、2001年には計画地内の民有地を全て公有化。19世紀初頭の出島を完全復元することを目指して整備を進めている。
2006年までに「一番船船頭部屋」「一番蔵」「二番蔵」「三番蔵」「カピタン(オランダ商館長)部屋」「ヘトル(商館長次席)部屋」「乙名(おとな)部屋」など10棟が完成。今年10月には主要な輸出品の銅を保管した「銅蔵」や、人の出入りを監視した「乙名詰所」など、さらに6棟の復元が完了した。
建物復元に続き、来年度中に出島表門橋の完成を目指す同プロジェクトは、現地の基礎掘削工事のほか、橋梁部を大島造船所で製作している。橋梁部完成後の来年2月末、全長約38メートルにおよぶ橋梁部を海路で長崎港へ運び、夜間に出島の工事現場に搬送して、翌朝に一括架設する予定。
江戸時代には川幅が4.5メートルほどで石橋が架けられていたが、現在の川幅は約30メートルまで拡幅されており、石橋で復元することは不可能。さらに国指定史跡である出島側では法律の定めなどにより土地を掘削することができない上、水害などの防災対策面から橋脚や柱を立てることもできない。
橋梁設計を担当した渡邉竜一さんは、昨年4月に開かれた地元説明会で「景観保全のために橋の上部にも構造物がなく、対岸の江戸町側の基礎部で全てを支えるヤジロベエのように力がバランスする構造。出島側は『わずかに浮いた状態』になっており、土地に触れない工事方法を採用した」と説明。「世界的に類を見ない橋になるだろう」とも語った。
同見学会は集合場所となる「出島対岸工事現場」を11時から見学し、その後に大島造船所へ貸し切りバスで移動。橋梁部製作工程を見学して再び出島対岸工事現場に戻り、17時ごろ解散する予定。橋梁設計担当者の渡邉さんも同行して解説を行う。
現在、参加者を募集している。参加費は3,000円(小学生以下は無料。往復バス代、昼食、保険料込み)。スニーカーなどの動きやすい靴、長袖など肌を露出しない服装を着用すること。定員は30人(希望者多数の場合は抽選)。募集期間は来年1月19日まで。