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長崎歴史文化博物館で「南蛮屏風」テーマに講演会 開港当初の長崎に焦点

来場を呼びかける増崎教授

来場を呼びかける増崎教授

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 桃山時代前後に描かれた「南蛮屏風(びょうぶ)」をテーマにした講演会「南蛮屏風のなかの長崎」が2月22日、長崎歴史文化博物館(長崎市立山1)1階ホールで開催される。

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 南蛮屏風は16世紀末期~17世紀半を中心に、スペインやポルトガルとの交易の様子を描いた作品。当時、両国と交易のあった長崎は1571年に開港。現在の江戸町から万才町にかけての一帯が当時の領主で日本初のキリシタン大名・大村純忠によって町建てされた6町がイエズス会に寄進され、ポルトガル人によって「岬の教会」が建てられた。江戸幕府が1624年にスペイン船、1639年にポルトガル船の来航を禁止し、鎖国体制が完成するまでの約70年にわたり、教会活動や貿易に関わる人々が暮らす一大拠点として、華やかな貿易都市・長崎の市街地が形成されてきた。

 当日は長崎大学の増崎英明名誉教授が登壇し、南蛮屏風に描かれた開港当初の長崎の様子をテーマに話を進める。増崎教授は医師として同大付属病院長や同大図書館長などを歴任してきた傍ら、2017(平成29)年に長崎の歴史や文化に関する課題を学術面でサポートする分野横断型の研究グループ「地域文化研究会」を立ち上げ、現在は南蛮屏風の研究に注力している。

 「南蛮屏風は豊臣秀吉が1592年から1598年にかけて朝鮮出兵を行った折、出兵拠点として築いた名護屋城(佐賀県唐津市)に連れてきていた狩野派の絵師が長崎を訪れて描いた下描きを元に、その後、京都で制作されたものと推定されている。写真などがない当時の様子を伝える貴重な視覚資料でもある」と増崎教授。「長崎はイエズス会がローマに送った報告書と共に当時の視覚資料と文献がそろう世界的にも希少な都市の一つでもある」と説明する。

 「現在は人口減少や衰退が叫ばれているが、当時の日本人にとって大きな存在で、憧憬(しょうけい)の地でもあった長崎。南蛮屏風に描かれた開港当初の最も元気だった時代に思いをはせ、長崎を元気にするきっかけにしてもらえれば」と来場を呼びかける。

 開催時間は14時30分~16時30分。入場無料。

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