長崎で「坂本龍馬像建立25周年シンポジウム」-勝海舟玄孫、坂本家当主も参加

講演中の山田方谷6代目子孫・野島透さん。手前は田上富久長崎市長

講演中の山田方谷6代目子孫・野島透さん。手前は田上富久長崎市長

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 長崎市立図書館(長崎市興善町)多目的ホールで5月25日、風頭公園にある坂本龍馬像の建立25周年を記念するシンポジウムが開かれ、全国の龍馬会メンバーやファンなど約80人が参加した。主催は長崎龍馬会。

勝海舟の玄孫・高山みな子さん

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 龍馬像は1989年5月21日に除幕。高さ3メートルのブロンズ像で、台座を含めるとおよそ4.2メートルになる。発起人らは街頭募金や全国からの支援で製作費を集め、長崎市在住の彫刻家・山崎和國さん(79)に依頼。台座の碑文は作家の宮地佐一郎さんが書いた。建立場所が決まるまでの紆余(うよ)曲折など、多くの困難を乗り越えて除幕の日を迎えたという。同シンポジウムは前日からの一連の記念行事の一環として開かれた。

 冒頭、田上富久長崎市長が「この像があったからこそ、2010年の大河ドラマ『龍馬伝』の時に、多くの観光客が訪れる場所の一つとして地域に大きく貢献してくれた」とあいさつ。続く基調講演では「山田方谷(ほうこく)と幕末」と題し、山田方谷6代目子孫の野島透さんが登壇した。山田方谷(1805~1877)は幕末の陽明学者であり、教育者、政治家。財政破綻に陥った備中松山藩(現在の岡山県高梁市)を見事に立て直した藩政改革者として、また最後の将軍・徳川慶喜の江戸幕府重臣を務めた藩主・板倉勝静の顧問役として知られる。

 1961(昭和36)年生まれの野島さんは祖父が養子になったため野島姓だが、方谷から数えて6代目の直系子孫に当たる。東大卒業後、大蔵省(現財務省)に入省し、現在、九州財務局長。著書「山田方谷の夢」を出版するなど、先祖である山田方谷研究家としても活躍。「自分が財務省に入ったのも、方谷の影響が大きい」と振り返る。「方谷の財政改革は大胆さが肝。負債整理では『大信のため小信は厭(いと)わず』として、目的のためには武士の面目を捨てて正直に現状を説いて回った。3年掛けて藩札を集め河原で燃やした。今にも通じるヒントがたくさんあるので、多くの人に知ってほしい」と結んだ後、「ぜひ、大河ドラマに」と応援を呼び掛けた。

 休憩を挟んだ後のリレートークでは、最初に勝海舟の玄孫(やしゃご)・高山みな子さんが登壇。玄孫はひ孫の子どもに当たり、本人から数えて5代目に当たる。「なぜ海舟は長崎に来ることができたのか」と提起し、ペリーが浦賀に来るまでは貧しい旗本だった海舟が、黒船の国難に際して広く人材を求めた老中・阿部正弘の呼び掛けに応じて論文を提出したことが幕府登用のきっかけとなる経緯を紹介。論文で5つの提言をしたが、その一つ「教練学校の設立」にまさか自分が関わるとは思っていなかった海舟。長崎海軍伝習所に送り込まれると、猛烈に勉強に身をていしたが、「船酔いがひどくて、海軍士官の仕事は船酔いの克服と肝に銘じた」エピソードを紹介すると、会場にドッと笑い声が響いた。高山さんは、「海舟は長崎の自由でおおらかな空気に触れなければ、龍馬とも出会っていなかっただろう。長崎は勝麟太郎が勝海舟になった場所」と力を込めた。

 続いて「長崎の地形を見た時に、日本の幕末の拠点だったのだと感じた」と感想を話したのは坂本家9代目当主の坂本登さん。「異国の雰囲気が漂う長崎で過ごしたことが龍馬の内面形成に大きく影響を与えた」とも。1867年に龍馬が起草し、大政奉還のきっかけとなった「船中八策」について、「龍馬一人で考えたことではないはず。いろいろな人の意見をいいとこ取りしたのだろうが、実行したのは龍馬。何事もやらなければ意味がない」と話すと、多くの人が大きくうなずいた。「今の社会は幕末に似ている。龍馬のように『わしがやらねば誰がやる』という気概を持った若者に出てきてもらいたい」と結んだ。

 休憩を挟み、小曾根家17代目当主の妻・小曾根育代さんが「お龍さんにとっての長崎」という視点から講演。「乾堂には『おつね』という妻がいて、お龍さんが小曾根家に滞在した8カ月間、面倒を見た」と解説。おつねが旧・引地町(現在の桜町、興善町周辺)で生まれ、東築町の海鮮問屋の娘だったことから、洗練されたおしゃれ感覚を持ったスタイリストだったはずと紹介。「想像だが、いつの時代も女性は飛び切り似合う服を着ることで心躍る」と、お龍に粋な着物を度々着せ替えていたと話す。家事が不得手だったことで知られるお龍が、居候として長居するのは気が引けたはずとして、「女中たちの作法の先生という名目で役割を与えたのでは」と自らの考えを披露した。小曾根家には実際の手紙や道具など、今でも多くの資料が家庭内に残っており、育代さんはそれらを元に想像を巡らす。著書に「お龍さんの長崎日和」(2009年出版)がある。

 夫の小曾根吉郎さんは直系先祖で坂本龍馬を庇護した豪商「小曾根乾堂(こぞねけんどう)」について話した。乾堂は篆刻(てんこく)家でもあり、明治政府の勅命によって御璽(ぎょじ・天皇の印章)、国璽(こくじ・国家の印章)を刻した。吉郎さんはユーモアを交え、時には駄じゃれを披露しながら講演。熱中しすぎて横から育代さんが制する場面も。

 高山さんが吉郎さんに、「そういえば、海舟が乾堂さんに最後に作ってもらったはんこの代金をまだ払ってないようだが、いつ請求書が回って来るかひやひやしている」と結ぶと、会場は笑いに包まれた。163番目の龍馬会として昨年発足した「北九州龍馬会」の岡信太郎会長は「楽しかった。こんなに大勢の子孫や縁ある人たちに出会える機会は貴重。機会があれば、また参加したい」と話した

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