中央公園(長崎市賑町)で現在、公園内に長年展示されていた蒸気機関車の解体撤去工事が行われている。
解体されているのは、公園内に約43年間展示されていたC57型蒸気機関車。長崎くんちの奉納踊り会場「お旅所」として長年利用されてきた旧長崎市公会堂(魚の町)前広場が使えなくなることから、長崎市は昨年初めから代替地として中央公園を再整備することを検討。蒸気機関車を別の場所に移設・展示するための調査を専門家に依頼したところ、老朽化が激しいことから移設は不可能と判定された。
設置されている説明板によると、1865年に長崎の大浦海岸で、トーマス・グラバーが国内で初めて人が乗った客車を引く蒸気機関車を走らせたことや、1945(昭20)年8月9日の原爆投下時、爆心地から約7キロ北にある長与駅に停車中だったために直撃を免れたC51型蒸気機関車がけん引する「311列車」が救援列車として被爆1時間後に長崎入りしたことなどから、長崎は蒸気機関車ゆかりの地であると説明する。同列車は爆心地から600メートルほどの距離まで進み、約700人の被爆者を収容して諫早駅まで引き返した。
同機関車は1960(昭和35)年に解体され、同型のC51も1966(昭和41)年に廃車となったため、後継車で東京~長崎間を結ぶ特急「富士」「さくら」「さちかぜ」の九州内でのけん引車として活躍した経歴を持つC57型を代わりに展示したという。同型車は201両が製造され、展示されていた100号機は1939(昭和14)年に日立製作所笠戸工場で製造されたもの。1973(昭和48)年に旧国鉄(現JR九州)から無償譲渡された。
解体されることを知らずに通りかかった市内在住の男性会社員は「子どものころから機関車の公園として親しんできただけに驚いた。解体を教えてもらっていたら、せめて写真を撮ったのに…」と、工事用シートに包まれた現場を残念そうに見つめていた。公園整備工事は、今年8月の完成を予定する。