軍艦島は長崎港の南西18キロメートルの沖合に浮かぶ無人島。1810年ごろ、石炭が発見され、1890(明治23)年には三菱合資会社の経営で本格的な海底炭鉱として操業が開始。出炭量が増えるにつれて人口が急増し、南北約480メートル、東西約160メートル、周囲約1200メートルという小さな島に6回にわたって埋め立てながら拡張し、数多くの高層アパートが建てられた。最盛期には5300人ほどが暮らし、当時の東京の9倍という世界一の人口密度を誇った。
エネルギー革命でエネルギー需要が石炭から石油に移ったことから採炭量が減少。1974(昭和49)年1月に閉山したことから無人島になっていたが、2015(平成27)年に「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産登録され、日本の近代化を支えた石炭の歴史を今に伝えている。
崩落が進む30号棟は1916(大正5)年に建てられ、現存する日本最古の鉄筋コンクリート(RC)造の高層アパートといわれており、7階建てのアパートに設けられた140戸の部屋が下請け社員の鉱員住宅として使われていた。
かつて30号棟で1年ほど暮らし、現在は軍艦島上陸ツアーを企画する「ユニバーサルワーカーズ」で元島民ガイドを務める木場田友次さんは「20代半ばの時、初めて島に上陸した。下請けのさらに下請けだったことから30号棟に案内され、4畳半の狭い部屋の押し入れで1年間ほど寝起きした。部屋にトイレや風呂はなく、共用トイレは海が荒れると海水が逆流することもあった」と当時の様子を振り返る。
今年3月ごろに建物南側、6階と7階の中央部にある梁(はり)が折れているのが確認されたのを最初に、日ごと崩落箇所が増え、現在では西側の一部でも崩落が確認されているという。定期的に記録を取ってきたという同社広報の佐藤義太郎さんは「専門家による調査で、崩落の原因は主に強風とされている。島全体で建物の老朽化が進んでいるものの、30号棟は特に状況がひどく、床面の大部分がすでに崩れている。建物がいつまで原形をとどめていられるかは分からない」と話す。
同社では8月31日まで県民半額キャンペーンも行っていることから、佐藤さんは「軍艦島に興味があってもなかなか行けないという県民の方にもぜひ一度、自身の目で軍艦島を見てもらえれば」と話す。