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第6回店舗編「リトル・エンジェルズ」

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(リトル・エンジェルズ万屋町店)

ここでは若いフランス人スタッフが働いていますが、彼らはフランスから来られたのですか?

【吉田社長】フランスには日本文化に興味を持つ若者が大勢います。そんな若者たちがフランスからここに勉強に来るのですよ。

失礼ながら、長崎の小さな店にこれだけフランスから集まるというのは凄いですね。

【吉田社長】家内は生粋のフランス人ですが、フランスの文化を日本に紹介したいという気持ちがとても強く、それがきっかけでこの店を始めました。フランス文化を伝える手段として何をしたらいいのだろうと考えた結果、食べ物がいいということになり、ケーキ店を始めたのです。

ケーキ店の経験はおありだったのですか?

【吉田社長】全くありません。単にケーキ店を始めたのではなくて、子どもから年配者まで幅広く楽しめるものは、恐らく甘いものだろうという考えがベースなんです。家内は食べ物に関しては全くの素人です。実家は薬局なんですよ。

薬局?

【吉田社長】義父は心も身体も癒す薬剤師として、地元で信頼されていました。家内は大学で文化や文学、美術を学んだのですが、日本が好きだったので来日して東京でフランス語を教えていました。

【カノンさん】フランス語を教えるというより、日本語の勉強をするために1年間だけの予定で来日したのです。当時はまさか自分がケーキ屋をやるなんて夢にも思いません。この人に騙されました(笑)。

社長。騙されたと言われていますよ(笑)。

【吉田社長】ハハハ。いつも言われます。ちょうど家内が東京でフランス語を教えている頃、僕は実家(割烹吉田・現在は廃業)の仕事で定期的に東京に通っていたのです。当時実家が売り出していた「ドレッシング」が大ヒットして売れていましたから、高島屋さんや伊勢丹さんなどに卸したりして毎月東京に出張していました。長崎ではフランス語を学ぶ場所がないので、家内が勤めるフランス語学校に毎月2週間ほど通ったのです。

どうしてフランス語を?

【吉田社長】実は僕は実家に帰る前に、フランスで5年間柔道を教えていました。大学で柔道をやっていたのですが、卒業してから講道館の国際部というところから講師としてフランスに派遣してもらいました。最初はフランス語が全く話せず苦労しましたが、1982(昭和57)年から1987年までの5年間フランス語に触れたお陰でかなり話せるようになりました。しかし当時はフランスから帰国してから6年ほど経っていました。折角覚えたフランス語をまた忘れてしまいそうで、実はこそこそ勉強を続けていたのです。だから出張のタイミングを狙って飯田橋の「アテネ・フランセ」という老舗のフランス語学校に通うことにしたのです。

なるほど。

【吉田社長】それに僕は実家が食に関わっていたし、父の実家は茶碗蒸しで有名な「吉宗(よっそう)」です。万屋店の目と鼻の先ですが(笑)。幼い頃から店を手伝っていたので、料理は根から大好きなんです。実は柔道の授業というのは夜しか教える時間はありませんから、昼は暇で死にそうなんです(笑)。夕方16時くらいから教え始めても20時には終わりますから。小さい頃から魚を捌いたり、野菜を刻んだりする環境ですから、苦にはならないし大好きなんです。

それでフランス料理を?

【吉田社長】そうなんです。せっかくフランスに来たから、フランス料理やお菓子を勉強しました。夜は優しい柔道の先生をやって、昼間はフランス料理やパンやケーキ作りをさせてもらいました。そのことが何十年も経ってから、自分の商売になるとは夢にも思いませんでしたがね(笑)。

【カノンさん】私は日本語を学ぼうとしてやってきたのに、フランス語を教えてしまったばかりに騙されて長崎に連れて来られることになりました(笑)。

【吉田社長】でも帰国して6年も経ってから東京のフランス語学校に行こうなんて、普通思いますか?たまたま僕がそう思って学校に行ったら家内がいたんです。これって、神様がくれた運命でしょ?付き合っているうちに「じゃ、一緒になろうか」ということになって、長崎に連れて来ました。もちろん合意の上ですよ(笑)。

でも振り返ってみれば、まさか自分がフランス人と結婚するとは想像もしませんでしたけどね(笑)。

何だかドラマのワンシーンを聞いているような気がしてきました(笑)。ところで、素朴な質問なのですが、「リトル・エンジェルズ」という名前は英語ですよね。フランス語じゃないのはどうしてですか?

【吉田社長】実は僕の姉がニューヨークで「リトル・エンジェルズ」という名前の雑貨店を経営していました。その名前を借りて最初は雑貨店を始めたんです。家内と出会う前のことです。もともと食べ物商売しか経験がない自分たちには雑貨店の経営は難しくて、あまりうまくいきませんでした。そこにフランス人の嫁を連れて息子が帰ってきた訳ですから、ビックリしますよね(笑)。でも、僕自身もフランス料理や洋菓子の勉強も一通りやってきた。だったら食べ物に変更して、みんなが大好きなケーキ店ならいけるんじゃないか?という話になったのです。いきなり変えるのではなく少しずつですが。屋号を変更するのはいろいろ大変なので、そのままの名前でいくことになりました(笑)。

何だか、ますますドラマチックな話ですね。でも奥様は料理のプロだった訳ではありませんよね?

【カノンさん】もちろんプロの経験はありません。でも日本人とフランス人には大きな習慣の違いがあるんです。それはフランス人は基本、自分でお菓子を作ることです。最近は日本のお陰でフランスでもケーキブームが起こっていますが、当時のフランスにはシュークリーム屋さんすらありません。日本の店でシュークリームが販売されていることに私自身、かなり衝撃を受けましたから(笑)。

それは凄い違いですね。

【カノンさん】そうなんです。店を始めた当時は「パティシエ」という職業自体、日本ではまだ認知されていませんでしたし、材料も少ない時代でした。フランス人は大量の果物を食べます。恐らく日本人には想像もつかないくらい食べます(笑)。そして、冬になるとイチゴタルトが各家庭に登場します。これこそがフランスの家庭の味であり、日本で言うところの「おふくろの味」なんですよ。

フランスの家庭の味はどんな感じなんですか?

【カノンさん】例えばチョコひとつとっても、アメリカのチョコとフランスのチョコではカカオの配合が違います。そして、フランスの家庭には必ずどの家庭にも「家伝のレシピ」があります。それは秘密中の秘密であり、部外者は決して見ることができません。フランスでのレシピは、その家の「家宝」です。レシピのメモは必ず「誰から伝えられたものか」という記録が克明に書かれています。例えば、ひいひいおばあちゃんからひいおばあちゃんに伝わって、ひいおばあちゃんからおばあちゃんに伝えられて、それがお母さんに伝わって、そのレシピをお母さんから引き継ぐという感じで、何世代にも亘って受け継がれます。フランスでは生ケーキさえ売られていないので、自分で作る必要がありますから、このレシピは欠かせません。

そうなんですね。日本ではレシピ本が売られていますが、事情が随分違いますね。

【カノンさん】それには理由があります。フランスではお互いの家に招待し合うという習慣があります。毎月、誰かが家に招待されます。招待される側が一番期待するのはデザート。デザートの出来次第でその家の料理の評価が決まってしまうほどなのです。

え?デザートでですか?

【カノンさん】そうです。フランスにはもともと「外食する」という習慣がありませんでした。人を招待して料理を振る舞うのが当たり前の国ですから、知り合いがいない旅行者は当然、料理を食べるところがありません。そんな旅行者のために出来たのが「レストラン」なんです。「レストレ」には休むという意味や、身体を整えるという意味があります。つまり、知り合いがいない土地での旅行中に、レストレして自分を治す手段として存在していたのです。

なるほど。そういう訳ですか。

【カノンさん】王制のフランスではシェフは貴族が雇用するものでした。ところが共和制になってからは彼らは失業し、仕事がなくなってしまいます。それも恐らくレストランが増えていった理由だと思います。そして自動車を使って旅行するという習慣を普及させるため、タイヤメーカーのミシュランが、今でも存在する旅行ガイドブック「ミシュラン・ガイド」を発行するようになります。情報がなかった時代に車で出かけるきっかけとして「おいしい料理がここで食べられる」というガイド本を出したようです。

またフランスでは、家庭に招待されたら招待してお返ししなければいけないという習慣があります。もともと、友達以外の人も一緒に集めて食事をしながら、様々な情報交換をするために家庭へ招待するという習慣が発達したようです。ヨーロッパでは国境が全て陸続きなので、常に周りの情報を入手する必要があったのも原因だと思います。ヨーロッパは常に領地の奪い合いでしたから、戦争になりそうな情報は特に欠かせない情報です。日本のような国では理解しにくい習慣かもしれません。

国が変わればいろいろ違うのですね。日本の料理は口に合いましたか?

【カノンさん】日本に来たとき、地方の味のクオリティーの高さに大変驚きました。長崎はその中でも特にレベルが高い地域だと思います。

私は料理の仕事をしていた訳ではありませんが、優れた味覚を持つ日本人にフランスの家庭料理を食べさせてあげたいとずっと思っていました。雑貨店にケーキを置かせてもらったり、フランスの家庭料理を再現したりして雰囲気を作ってきました。まだファーストフードの店や夢彩都のような施設もなかったので、少しずつ買ってくれる人が増え、子どもたちに安心して食べさせたいという声をもらうようになりました。

当時は「カギっ子」という言葉が流行していて、子どもたちのための店がほとんどありません。家に帰っても誰もいない子どもたちが多く存在することが、フランス人の私にはとてもショックでした。当時のフランスの多くの家庭では、家に帰って誰もいないという状態が想像できなかったのです。そんな子どもたちに150円のケーキはよく売れました。落ち着く場所を与え、力を付けて家に帰す場所に出来ればという思いでやってきました。

(リトル・エンジェルズ矢上店)

昔、カギっ子は社会問題でしたね。そういう子どもたちへの思いが原動力になったのですね。

【カノンさん】だから材料はいいものだけを使うことに力を入れました。また少しフランスの話をすると、フランスの郊外の家は大きくて敷地も広いので、そばに果物の木を植えます。子どもたちは自然になったその果実を取って食べるので、身体作りになります。余った果実はジャムに加工して保存食として利用します。都市に住むフランス人は市場を利用して旬に果物が安くなると大量に買い込みます。例えばアンズは、安い時期には5キロで日本円で500円ほどです。

安いですね!

【カノンさん】でしょ?(笑)。前にも言ったように、フランス人は食後に大量の果物を食べます。日本にはない果物もたくさんありますし、フランスの家庭のテーブルにはいつも果物が大きく盛り付けてあります。フランス料理というと、日本では高級なイメージが先行しているかもしれませんが、素朴な家庭料理がとてもおいしいんですよ。

それを日本で広げたいと思われたんですね。

【カノンさん】そうです。本当においしいものを食べてもらいたいという気持ちが先でした。私はプロの経験がないので、フランスに3日間だけデザートの勉強に行きました。フランスには日本と違って、プロの女性の料理人はほとんどいないのです。そこへ日本からフランス人女性が料理を習いたいと、フランスにやってくるわけですから(笑)。

考えてみると、変な話ですね(笑)。

【カノンさん】そうですね(笑)。私は特においしいチョコレートケーキを作りたかったんです。日本でバレンタインにおいしいチョコムースを作ろうとしたのですが、あまり受けませんでした。日本では恐らくアメリカに近い味が広がっているのだと思いますが、私にはアメリカの味付けがわかりません。フランス人の味付けはいつも濃い目です。

フランスでデザートを勉強してみて困ったのは、日本に帰国してから「道具」がないことです。フランスにあるような大型のオーブンなどを日本で探してみたのですが、非常に似ていても性能的には全く違います。これには本当に困りましたが、創意工夫してやってきました。道具が違うので、レシピもそのまま使えず、日本風にアレンジする必要がありました。

当時としては当然と言えば当然でしょうが、道具や材料の問題もあるのですね。

【カノンさん】それに当時のフランス人は、日本食イコール「寿司」「刺身」だと思っていましたからね。でも新しい味に対する好奇心は、日本人と同じようにフランス人も旺盛です。和食のお茶や白味噌をフランス人に教えてみたら、とても喜ばれて好きになった人も多いんです。ほかにも吸い物、焼き鳥など紹介したら、フランス人の口には非常に合いました。それに日本の料理はきれいに盛り付けられているところがとても勉強になります。フランスの料理の盛り付けは日本に比べると雑ですが、味はおいしいと思います。

フランスでプロの料理人に味のルーツについて尋ねてみると、たいていのプロが祖母や母の手づくりの味、子どもの頃に親しんだ味がベースだと答えるはずです。それくらい、家庭の味というものがフランス人には染み付いています。日本では「おふくろの味」と呼ばれるのでしょうが、恐らくそれ以上の意味を持っています。子どもの味覚を磨くことは実は重大な親の責任なのです。豊かさとは金を与えることではありません。

日本人とは料理の捉え方が随分違うのですね。こちらの店の料理は、どのように振る舞われるのですか?

【カノンさん】昼に日替わりで季節の野菜を使ったグラタンなどを提供しています。これは日替わりメニューとして平日ならいつでも提供しています。夜は予約があった場合にディナーをお出ししています。これもフランスの家庭の味と雰囲気を十分に堪能してもらえるものなので、興味をお持ちの方には自信を持ってお薦めします。これらは全てシンプルでヘルシーな味だと思います。他の店と腕を競うつもりはなくて、いわゆる家庭の味をただ素直に届けられたらと思います。主人もフランス時代に、結構おいしいものを食べさせてもらっていたようですから。

【吉田社長】フランスの人たちは本当に親切でした。私がかわいそうだからおいしいものを食べさせなきゃと言って、家庭に招いてもらったときには、本当にうれしかったですよ。うちの商品の中で、家内の思いが一番詰まっているのが「マダムカメリット」というお菓子です。これには「フランス生まれの長崎育ち」というキャッチフレーズが付いています。当店で出しているクッキーは、正真正銘、家内が祖母から伝えられたものです。代々家内の家に伝わっている家庭で作るお菓子なんです。

「カメリット」という名前は、「衛星」という意味を持つ「コメット」と、「修道女」という意味の「カルメリット」を掛け合わせました。形が帽子に似ていて、それがコメットの形に見え、修道女のように清楚で優しい気持ちを包んだクッキーという意味があります。家内が作った造語です。ぜひ、食べてみてください。

【カノンさん】余談ですが、まだ店を始めてまもない頃に朝早く80代くらいの小柄な女性が来店されました。友人からもらって、生まれて初めて食べたタルトの味がどうしても忘れられないので買いに来たということでした。しかし、そのときにはまだ商品としてのタルト自体がなかったので、買ってもらうことができませんでした。長年生きてこられて初めて食べた味で感激できること自体に、私は深い感動を覚えました。素直に「凄いことだな」と思いました。

人間にとって「おいしい」という感動が、どれほどの可能性を持っているのかということを、私はその女性から教えてもらいました。今でも深く感謝しています。食べさせてあげられなかったことが今でも心残りでなりません。

いい話ですね。感動した味はずっと覚えていると思いますし、確かに食べることは基本中の基本ですからね。では、カノンさんから読者のみなさんにメッセージをお願いします。

【カノンさん】フランス人は物事を結構ストレートに言います。日本人からすると、びっくりすることも多いでしょう。

でも信頼関係のある友人との間では、それは本当の意見として認められ受け入れられるものです。叱っても、その場で終わります。叱られた後にも「おいしいもの」が間を取り持つことも大いにあると思います。文化が違っていてもおいしいものを食べて泣く人はいません。必ず笑顔になります。

私には「食べ物に感謝するやさしい気持ちがとても強い人たち」というのが長崎の人たちに強く感じることです。日本の文化は難しいですが、日本に住む外国人は可能な限りそれに合わせなければならないと思います。もちろん十分には合わせられないでしょうけど、努力することに意味があると思います。今でも理解できない風習や文化はありますが、それも含めて楽しんでいます。

私たちの挑戦は、ほんのささやかなものですが、主人や周りのスタッフと一丸となって、この小さな店からフランスと日本の橋渡しをする「人」や「モノ」そして「物語」をどんどん世の中に広げていければと思います。

ありがとうございます。最後に吉田社長、ひとことお願いします。

【吉田社長】日本でフランスの歌と言えば「オー・シャンゼリゼ」が有名です。でも、その歌詞の意味をご存知の方は少ないと思います。有名なパリのシャンゼリゼ通りを歌った歌ですが、この歌の意味は「昼も夜も雨の日でも、ここにはあなたが望むモノが何でも揃っている」ということなのです。事実、シャンゼリゼ通りには高級ブティックから普通の雑貨店までそれこそ何でも揃っています。でもそれだけではありません。実はフランスの中でも、ここは特別な場所なのです。

特別な場所とは?

【吉田社長】というのは、フランスは日本と違い、日曜日は普通の店は全部休みなのです。日本なら絶対に開いていますが、フランスでは大型デパートでさえ日曜日は休みなのです。そんなフランスの中で、唯一シャンゼリゼだけは、「昼も」「夜も」「雨の日」「日曜日」でさえも開いていて、「そこには出会いが待っているよ」という出会いの歌なのです。私と家内のためのような歌でもあるのです(笑)。

なるほど。ごちそうさまです(笑)。

【吉田社長】だから店のBGMで流れているときに、「実はこういう歌なんですよ」と教えて差し上げることもあります。すると、とても喜ばれるんですよ。そういうことも含めて、家内は長崎に、日本に、フランス文化を広げていきたいと真剣に考えているのです。バスツアーで県外から来られるお客さまもかなり多くなりましたが、そういうサロンのようなものにしたいと思っています。日本とフランス、その文化が交じり合って楽しい時間を過ごせるサロン。私たちはそれを目指しています。

来年、家内の故郷でもあるロワール地方というフランスの小さな村を訪ねるツアーも計画しています。有名なベルサイユ宮殿を見に行くのもいいのですが、一人でも多くの人に「等身大のフランス」を身近に感じてもらうためにも、このツアーをぜひ実現させてロワールで本場の家庭料理を堪能してもらいたいですね。

長時間素敵なお話をありがとうございました。

【吉田社長】こちらこそ、ありがとうございました。

【カノンさん】メルシー・ボク

本当に仲がいいお二人。自分たちもこのような夫婦になれたらいいなと思えるお手本でした。奥様の思いを全力で実現しようと、毎日外を走り回りながら支えている吉田社長と、その社長に応えるようにひとつひとつ手づくりのお菓子に思いを込めながら作っている奥様。バスツアーのお客様へのあいさつの時に、ジョークを交えながら会場をパッと明るい雰囲気にする姿は長年の経験の賜物だと深く感動しました。とても幸せな気分になれる取材でした。

【 お知らせ 】今年5月からスタートした「長崎グルメ探訪」ですが、諸般の事情により、一旦休載させていただきます。 これまでインタビュー取材にご協力くださった皆様。読者の皆様ありがとうございました。

いつか、さらにパワーアップして皆様のお目にかかれればと思います。

リトルエンジェルズ 万屋町本店
営業時間:10時30分~19時30分。
所在地:長崎市万屋町5-36
電話:095-827-0111

★★★★★★★★★★★★★★★★

リトルエンジェルズ 矢上店
営業時間:10時30分~19時。
所在地:長崎市矢上町32-26
電話:050-3385-9488

★★★★★★★★★★★★★★★★

リトルエンジェルズ 滑石店
営業時間:10時~18時。
所在地:長崎市滑石5丁目1-22 滑石ショッピングセンター内
電話:095-855-0668

リトル・エンジェルズ(文責・長崎経済新聞編集部 田中康雄)


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