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インタビュー2016-12-30

絵と書道が大好きな少女は「デザイン書道家」になった
~長崎在住の書家・寵瑛さん「これが私の生きる道」~

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今年10月、第18回・日本デザイン書道大賞で大賞に輝いた書家・寵瑛さん。
明るい海沿いにたたずむ住まいは書道を習う子どもの笑顔で溢れています。
ご自宅でお話を伺いました。(聞き手:長崎経済新聞編集部 田中康雄)

【今年の書き初めイベントでの寵瑛さん。JR長崎駅・かもめ広場】

寵瑛(ちょうえい)さんは長崎市生まれ。長崎南高校、長崎大学教育学部卒。
6歳で筆を持つが、本格的に書道を学び始めたのは2001年から。師範免許を取り、筆文字ロゴ制作や代筆、教室での指導をはじめ、各地のイベント会場での書道パフォーマンスなど幅広い活動を行っている。

第57回・長崎県展入賞(2012年)「来場者が選ぶこの一点」選出。

個展「あのさ かあか展」
2014年6月 会場 = ギャラリー「あかあおきいろ」
2015年6月 会場 = ギャラリー&クラフト工房「くつろぎ」

第18回・日本デザイン書道大賞にて大賞受賞(2016年10月)


【大筆で書道パフォーマンスを行う寵瑛さん】

田中:ご兄弟は何人ですか?
寵瑛:3人姉妹の長女です。

田中:お姉ちゃん!
寵瑛:そうですね。すぐ下の妹が病気だったのと両親が共働きだったので、幼いころは祖父母や親戚によく預けられました。小さいながらも、いろいろな大人をクールに観察していたのを覚えています。

田中:そもそも、書道を始めたきっかけはなんですか?
寵瑛:預けられた親戚の従兄弟たちが近くの公民館で書道を習っていました。ピアノと算盤(そろばん)も習っていましたが、従兄弟たちについていくうちにいつの間にか習い始めました。教室にも誰より早く行って、先生が片付けをする時までずっと残っていました。書道が一番好きでしたね。

田中:それは何歳の時ですか?
寵瑛:習い始めは6歳です。

田中:もはや好きというレベルじゃないですね?(笑)
寵瑛:私もそう思います。書道以外にも絵を描くのが大好きでした。1つの色を出すために絵具を混ぜるから、鮮やかな子どもらしい色使いをする同級生と比べて「私が描くと、なぜいつもこんな感じなんだろう?」と思っていた記憶があります。創作書道をする際にも色を入れたりしますが、出したい色が子どものころの絵の色彩に似ていて驚くことがあります。
ほかに
「キャンディキャンディ」「フランダースの犬」「アルプスの少女ハイジ」「赤毛のアン」などが大好きでよく妄想していました。私は1歳半からの記憶を覚えているので、エピソードは語り尽せません。

田中:1歳半ですか? それは凄いですね。
寵瑛:書道は手で書くでしょ? 実は手にまつわる思い出があるんです。


【日本デザイン書道大賞を受ける寵瑛さん】(今年10月、東京都内)

田中:どんな思い出ですか?
寵瑛:3歳か4歳ごろ、町内の運動会で祖父と手をつないで写真を撮りました。その時なぜか「爺ちゃんと今、手をつないでいる。これが爺ちゃんの右手なんだ。ふわふわした手だなあ」と、強く感じました。なぜそう感じたのか、理由はわかりません。その写真をすぐに見たくて、母親に早く現像するように頼んだことを覚えています。

田中:その直感が何かを知らせたとか?
寵瑛:祖父は私が5歳の時、機械に巻き込まれて右手を失いました。

田中:それは寵瑛さんにとってもショックだったでしょう?
寵瑛:祖父の右手は失くなりましたが、私はその右手の感触を今でも鮮明に覚えています。そのことが「字が書ける」というシンプルな事実にも、無上の喜びを感じることができる私の原点なのです。

田中:寵瑛さんが天職を得るために経験させてくれたのでしょうね。
寵瑛:大げさでも何でもなく、仕事が終わるたびに自分の右手に対する感謝の気持ちがふつふつと沸いてきます。毎年秋になると、石丸文好堂(長崎市浜町)の前で長崎くんちの「花紙」や、のし紙をひたすら書き続けるのですが、いくら書いても手が痛くなりません。それも1週間ぶっ通しですよ。

【 左端は五島市商工会の片峰副会長。右はデザイナーの有川智子さん

田中:とてもじゃないけど、1週間ぶっ通しは無理です(笑)。
寵瑛:本当に不思議ですが、祖父に見守られているようです。

田中:書道を辞めたいと思ったことはありませんか?
寵瑛:
長崎に戻ってきてから書道を辞めたいと思ったことは一度もありませんが、戻ってくるまでは書道を辞めて別の仕事をやろうと思っていました。

田中:それでも辞めなかった理由が何かあるのですか?
寵瑛:それが今住んでいる海沿いの家との出合いなんですよ。

田中:へえ。どんな内容ですか?
寵瑛:主人の転勤で千葉、名古屋、兵庫、最後に福岡に住んでいたのですが、長崎に帰ってくることを決めてから最初に今の家を紹介されました。その時は魅力を感じなかったのですが、ほかの家を探しても全くうまく引っ越しに至らず、なぜかこの家に戻ってしまう。そして実際に引っ越すまで、実に1年間探し続けることになりました。

田中:1年間も? それは大変でしたね。
寵瑛:そうですね。でも、この家はすぐ前に海があって、しかも穏やかで台風でもさほど被害がない。縁側が南向きで明るく、畳の部屋がこんなにも似合うシチュエーションはないでしょ?そして、ここで書道を教えているイメージが鮮明に浮かんできました。

田中:そういう直感は大事ですよね。
寵瑛:心の中で「もう一度ここで書道をやろう」と決意したら、もう迷いませんでした。すると次々に縁がつながり、教室をやらせていただいているセラヴィさんとか、書道スタジオさんと出会うことになり、今があります。書くという大好きな仕事を皆さんに支えていただける。本当にありがたいです。











【 はた(長崎凧のこと)に文字を書いて楽しむ瓊浦高校の生徒と 】

田中:最後の質問ですが「特に、ありがとうを伝えたい人」は?
寵瑛:まずはいつも仕事の間、息子を預かってくれる母です。それから主人ですね。「先行投資」といって、金がかかる習い事をずっと応援してくれます。そして私のことを自分のことのように喜び、応援してくれる友人たち。何と言っても「書道スタジオ・スタート」の福山嘉人さんと、先生方には言葉に表せないほど感謝してもしきれません。もちろん、ほかにもたくさんの方に支えていただき、ありがとうを言いたい方はきりがありません。本当にありがとうございます。

田中:これからますますのご活躍を期待しています。
寵瑛:来年はデザイン書道にもっと力を注ぎます。こちらこそ、ありがとうございました。      

      書家「寵瑛」(Japanese Calligrapher Chouei)

              (文責=長崎経済新聞編集部 田中康雄)

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