料亭「青柳(あおやぎ)」(長崎市丸山町)大広間で11月3日、「梅園天満宮縁起絵巻」模写の修復完成開帳が始まった。
「身代わり天満宮」として知られる梅園天満宮(丸山町)は1700年、丸山町の乙名(おとな)安田治右衛門によって創建された。主催した青柳の山口広助さんによると1693年、素行が悪い梅野五郎左衛門が百たたき(当時の刑罰の一種)にされたことを逆恨みし、二重門(現在の丸山交番付近)で安田治右衛門を襲って左脇腹をやりで突き刺したという。襲った梅野は確実に死んだと信じて自害したが、不思議なことに安田はどこにも傷がなかった。安田が帰宅すると、自邸に祭っていた天神像(太宰府天満宮の分祠)が左脇腹から血を流して倒れていたという。第二次世界大戦中に出征した丸山町出身の兵士は全員参拝して、全員が無事に帰還したと伝えられている。
開帳は同宮に伝わるオリジナルの縁起絵巻3幅(1784年作)と、今回修復された模写3幅(同絵巻を1849年ごろに模写した作品)、初代宮司・安田治右衛門尊像など(1768年作)。
1784年製作のオリジナル絵巻は唐津藩の絵師・藤田如鷹光之が手掛けたもの。損傷が激しく、専門業者の手で今回ようやく閲覧できる状態にしたという。
募金などで修復された模写は、秋月藩(福岡藩の支藩)御用絵師の斎藤秋圃(1768年~1859年)が81歳の時に手掛けた作品。斎藤は当時「筑前四大絵師」と呼ばれていた著名な人物。山口さんは「作品としての価値はオリジナルより模写の方が高い」と話す。初日の来場者は200人を超えたという。来場者には山口さんが絵巻について解説する。
山口さんは「模写といってもオリジナルとは全く作風が違うところが面白い。オリジナルの絵巻を見ることができるのは最後かもしれないので、ぜひ見に来てほしい」と呼び掛ける。
公開時間は10時~16時。観覧無料。11月5日まで。