長崎歴史文化協会で「西川如見の世界観」 長崎生まれ・日本初の天文地理学者

講演中の松尾龍之介さん

講演中の松尾龍之介さん

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 十八銀行桜町支店公会堂前出張所(長崎市桶屋町)内の長崎歴史文化協会で11月7日、江戸時代中期に活躍した日本初の天文地理学者・西川如見(じょけん)に関する講演会が開かれた。

西川家跡の説明板

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 西川如見は1648年、3代将軍・徳川家光の晩年に長崎の商家で生まれた。父は天文学者の西川忠益。25歳の時に儒学者・南部草寿から和漢を、小林義信から天文・暦算・測量学を学んだ。1695年、48歳で日本初の世界地誌「華夷通商考」を刊行。その2年後には隠居して著述に専念し、61歳の時に「増補華夷通商考」(1708年)を著した。同書は日本で初めて南北アメリカを紹介した書籍として知られる。1719年、8代将軍・徳川吉宗から天文学に関する下問(かもん=身分の高い者が低い者に質問すること)を受けて江戸にしばらく滞在した後、長崎に帰る。1724年に77歳で死去。

 講師の松尾龍之介さん(69)は1946(昭和21)年、「飴屋の幽霊」で知られる光源寺(伊良林1)境内の古い民家で生まれた。北九州市立大学外国語学部卒業後、1971(昭和46)年に漫画家を志して上京。漫画家・杉浦幸雄に師事し、主に漫画社を中心に活躍した。洋学史研究会会員、俳句結社「空」同人でもある。現在、長崎市在住。著書は「江戸の世界聞見録」(蝸牛社刊)、「江戸の長崎ものしり帳」「長崎蘭学の巨人-志筑忠雄とその時代」「小笠原諸島をめぐる世界史」(以上、弦書房刊)、「マンガNHKためしてガッテン-わが家の常識・非常識」(青春出版社刊)など多数。同協会理事長で郷土史家の越中哲也さん(94)は実家が光源寺であり、松尾さんについて「赤ん坊のころからよく知っている」と話す。

 講演は同協会の会員に向けて開かれ、約30人の会場はほぼ満席。松尾さんは冒頭、「西川如見は天文学の基本である地球球体説を唱(とな)えた。地球が丸いことを感覚的にどのようにして知ったか」と質問。首をかしげる聴講者らを前に、「あくまで自分の想像」と断った上で、「月も太陽も見上げれば丸い。水平線に消えていく船は下の方から少しずつ見えなくなっていく。これを合理的かつ総合的に考えれば『地球は丸い』と考えざるをえない。普通は気づかないところに気づく如見は、本当に天才だと思う」と説明すると、多くの聴講者がうなずいた。

 1944(昭和19)年に岩波文庫から復刻された「増補華夷通商考」を入手して西川如見を初めて知った松尾さんは、「戦時の本は紙質が悪くてぼろぼろ。昭和40年代にようやく再版されたが紙質は圧倒的に良くなった。本を通じて戦争の本質を知った」と振り返る。松尾さんが当時としては画期的に優れていた同書の内容を力説するたび、聴講者からは「へえー」という驚きの声が聞かれた。

 松尾さんは「当時は全国の人に愛読され、将軍からも呼ばれた理由は、如見が町人だったから。誰もが読めるよう全ての漢字に振り仮名が振られており、実際に子どもでも読めた。当時では珍しく大変な作業だが、商人としての素晴らしい心配りだと思う。しかし身分制度があったため、結局は新井白石のような御用学者から疎まれて歴史から消された。今では麹屋町の郵便局前に西川家跡の説明板があるくらいで、現代人に忘れ去られていることが腹立たしい」と力を込める。「多くの人に如見を知ってもらうべく、来年の出版を目指して解説付きの『増補華夷通商考』を書いているところ」と発表した。

 講演後、聴講者の一人が「如見は最先端の情報をどうやって得たのか。情報源は何か」と質問。松尾さんが「素晴らしい質問。今度の本に答えが書いてあるので、出版したら買ってほしい」と応じると、会場は爆笑の渦に包まれた。

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