長崎各地で「しめやかに」精霊流し 爆竹や鐘の音に見送られて極楽浄土へ

橋の上からロケット花火を打ち上げる

橋の上からロケット花火を打ち上げる

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 戦後70年を迎えた8月15日、長崎県内各地で「精霊流し(しょうろうながし)」が行われた。

国道を練り歩く精霊船の一行

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 長崎では毎年8月15日、初盆を迎える遺族や親せき、知人らがそろいの法被(はっぴ)を着て鐘を叩き、大量の爆竹を鳴らしながら街中を練り歩く。

 精霊流しは故人の魂を精霊船に乗せ「にぎやかに」極楽浄土へ送り出す長崎の伝統行事だ。

 精霊船は各家庭で手作りされ、材料には竹や木、わらなどが使用される。大きさは大小さまざまだが、葬儀社や廃棄物処理業者、建設会社などの専門業者が遺族から受注して製作するケースも少なくない。船の先に長く突き出した部分は「みよし」と呼ばれ、家紋や家名、町名(町内で共同で出す「もやい船」の場合)などが大書される。爆竹などの花火類は1世帯当たり数万円から数十万円が数時間で消費され、中には爆竹を梱包した箱ごと火を点ける人も。他県から訪れる人の多くは、爆竹や花火の音のすさまじさに驚愕する。昨年の長崎市中心部の精霊流しでは約19万人が訪れ、地元の民放テレビでは実況中継なども行われるほど。県内各地で大勢の警察官が動員され、交通規制が行われる。

 長崎の精霊流しの起源は諸説あるが、江戸時代に幕府天文方として活躍した長崎の儒学者・盧草拙(ろそうせつ、1675年生~1729年没)が、初めて小船に死者への供え物を乗せて流したという説が有力。当時は「菰(こも)」に包んで川に流す風習が一般的だったが、「それでは死者に失礼だ」というのが理由とされる。現在の精霊船は、長崎市中心部だけで約1,500隻、県内全域では3,000隻ほどが毎年参加している。近年では大型化に伴い、海ではなく各地の施設に集めて解体処理される。

 東長崎地区では夕方17時30分ごろから爆竹の音や「チャコン、チャコン」という鐘の音に合わせ、「ドーイ、ドーイ」という掛け声が聞こえ始めた。日差しが和らいできた夕景の彼方から、大小入り混じる精霊船を、老若男女さまざまな人たちが曳く光景が見えてきた。

 国道251号線で精霊船を曳いていたある一行は、白法被に身を包んだ小学生の男児から60代と思われる男性まで15人ほど。最後尾からは爆竹や飲み物を入れたクーラーボックスを乗せた台車を押す年配の女性が「もう少しゆっくり歩かんね」と大声で叫ぶ。行列から次々に火が付いた爆竹を道路に投げていた男性は「おじちゃん。そっちに投げたら危なかよ」と姪と思しき少女から注意され、手を止めてしきりに謝る一幕も。八郎川に架かる大橋の上では複数の精霊船が立ち止まり、爆竹とともにロケット花火を次々に打ち上げた。

 参加した男性の一人は「妻の実家の精霊流しに初めて参加した。爆竹のすさまじい音にようやく慣れてきたところ。最初は驚いたが、みんな温かい人ばかり。にぎやかに故人を送るのも悪くない」とほほ笑む。

 流し場(精霊船を最後に引き渡す施設)に到着した一行は、それまでのにぎやかな雰囲気とは一変。担当者に精霊船を手渡した後、「じいちゃん」と叫びながら手を合わせる子どもたちや、若くして亡くなった息子の船にじっと手を合わせる年配の男性など、それぞれの思いが込められた鎮魂の場となった。

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