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第5回店舗編「ピアチェーボレ」

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「ピアチェーボレ」という店名の意味は何ですか?

これは「愉快な、快適な、心地よい」という意味のイタリア語です。訪れる人にとって、そんな場所になれたらいいなという思いを込めました。

なるほど。イタリア料理を通じて、心地よさを届けたいと。

確かに作るのはイタリア料理ですが、そう決め付けているわけではありません。ちょっと違う話になりますが、僕は昭和45年の3月生まれなので、44年組と同じです。まだまだ景気のいい時代に親の勧めで東京の大学に行きました。そこで学生生活を送ったのですが、みんな大企業に入って安定した生活を送ることに汲々としていて、それが全てみたいな感じ。決まったレールに乗って、黙っていれば将来が保証されている。でも、そのことに何だか強烈な違和感を覚えました。

「なんでこんな世界に入っちゃったのかなあ」と大きく後悔している自分自身に気がついたのです。そんな決まった道を、何の疑問も持たないままに歩かされるのがイヤで仕方なかったのだと思います。きっと。考えた末、大学は3年生で中退して料理人の世界に飛び込みました。

分かる気がします。私もレールから外れて途中下車ばかりですから(笑)。

はははは。面白いこと言いますね。大学を辞めてから、辻調理師専門学校に入りました。一応、名門ですから(笑)。そこで僕はフランスに料理研修に行くことになります。しかも、三ツ星レストランですよ。学校としても初めて研修生を送り込むらしく、とても緊張しました。そして、当然のことでしょうけど、送り込まれた先のレストランでは完全否定されました。全て否定。何一つ認めてもらえない。何をやろうと全部ダメ。今考えると当然かもしれませんが、相手もアジア人を受け入れるのが初めて。誇り高いフランス人から、ある意味「人間であること」すらも否定されてしまうのです。

でも今思うと、店も僕をどう扱っていいのか分からなかったでしょうね(笑)。当時は日本が景気が良くて、多くの日本人がある意味勘違いしていた時代なので、そのころに海外で自分を完全否定されることは貴重な体験だったのかもしれません。

なるほど。確かに、そこまで否定された経験はありませんね。

でも正直に言うと、料理人になりたくてなりたくて専門学校に入ったわけではありません。当時の僕はヨーロッパ文化に憧れていて、「何とかヨーロッパに行く方法はないか?」と考えた結論が、たまたま料理だったのです。結局、それが実現してしまうんですけどね(笑)。

結構、負けず嫌いですか?

そうかもしれません。アマノジャクでもあるし(笑)。今ではフランスでの体験は自分にとって大きいんですよ。大きなカルチャーショックでしたが、三ツ星レストランといって威張ってみても、裏ではスタッフはバラバラ。それでも、ちゃんと三ツ星にふさわしい料理を作り上げる(笑)。このギャップは、いろんな意味で勉強になりました。日本ではまず経験できないことですし、今でも僕が「何があっても大丈夫」と自信が持てるのも、フランスでの経験があってのことです。

そのうち、何だかフランス語らしきものを2223歳のアジア人の若造が少しずつ話し始めると、だんだん可愛がってくれるようになってきて、最後は結構打ち解けました。と言っても何の勉強にもなっていません(笑)。料理ができるようになったわけではないんです。ボコボコに打ちのめされて帰ってきただけなんですが、ハンバーグくらいしか知らなかった若造が、本物の料理に触れられただけでも大きな意味がありました。徹底的に打ちのめされたことこそが、今の自分のモチベーションに通じていると思います。完全否定してくれた誇り高きフランス人に感謝です(笑)。

   ピアチェーボレのデザートの一つ。「リンゴのタルトと甘夏のシャーベット」

なるほど。ではフランス研修の体験がベースになっているんですね。

実際にはそうですが、実はほかにもベースになっている原体験があります。それは、私の親戚がインドの方と結婚して長崎市内でインド料理店をやっていたんです。幼いころからその店に行くのが楽しくて仕方ありませんでした。厨房には見たこともないような香辛料がずらりと並んでいて、ワクワクしていました。そのころは今のように世界の香辛料がネットなどで簡単に手に入る時代ではありませんから。そういう意味では僕の料理の原点は「インド料理」なんですよ。横で眺めていると、材料がどんどん料理に変わっていくひとつひとつの工程が面白くて夢中になりました。だから、唐突に料理の道に進んだということでもないのだろうと思います。

フランス研修から帰ってからは、どうされたのですか?

いろんなところで働きましたね。大きなホテルでも働きました。辻調理師専門学校で助手もやらせてもらいました。今思えば、自分の進むべき方向を探っている時期でしたね。そんなある日、大先輩が作ったイタリア料理が忘れられなくてイタリア料理に絞ろうと思ったんです。「こりゃ凄い」と(笑)。僕は思い込んだらバカみたいに突っ走る方なので、一念発起してイタリア研修に行くと自分で決めました。仕事の合間にイタリア語を習得し、イタリア語検定3級を取りました。若いころのフランス研修とは違い、イタリアの若者に野菜の切り方から肉の焼き方までイタリア語で教えました。ともかくイタリア人はエスプレッソばかり飲んでよくサボる(笑)。ある意味、フランスのリベンジかもしれません(笑)。

やりますね(笑)。イタリア人はどんな人たちでしたか?

彼らはみんな情熱的でしたね。同じヨーロッパなのにフランス人とは大違いです(笑)。正直、男はみんなマザコンと断言したら叱られそうですが、家族の絆が本当に深い人たちです。とてもアットホームな雰囲気で、フランスとは違って大事にしてもらいました(笑)。イタリアでの一番の思い出は、ケガで入院してしまったこと。5キロものオリーブオイルの缶を不覚にも足に落として、全治1カ月の入院をしてしまいました(笑)。

イタリア人は本当に世話好きで、用事もないのに次から次にいろんな人が僕の様子を見に来るんです。ケガして入院しているのに、ゆっくり眠ることもできない(笑)。だから、全然さびしくありませんでした。たまに迷惑ですが明るくて面白い人たちです(笑)。そして、この入院こそが僕のその後を決定づけたと言ってもいいと思います。病院食っておいしくないと言われることもありますが、入院での楽しみは食事しかないでしょ。

最初は本当に口に合わなかったのですが、ずっと食べていると不思議とおいしく感じるようになってくるんです(笑)。入院中に食べたリゾットが凄くおいしくて、「これはまさしく日本のお粥じゃないか!」って気づきました。それがきっかけとなって、帰国してから日本食のことも研究することにしたのです。

何事もきっかけというのがあるんですね。お店を開くことになったきっかけは?

帰国してから長崎の老舗レストランなどで働いたり、いろんなところに呼ばれて料理の講師をやっているうちに、人に教えることも悪くないなあと思いました。一時は料理の先生を目指したこともあります。そんなある日、「せっかく人に教えるなら自分の店を持ってオーナーシェフとして教えれば、人はちゃんと話を聞く」と、ある人に教えられたのです。その話が僕にはとても新鮮で説得力がありました。

なるほど。いくら理論と技術をもってしても、オーナーシェフの話にはかなわないと。

そういうことです。その言葉に押されて店を持つことにしましたが、実際に準備を始めると本当に大変でした。味にもこだわったし、素材にもこだわりました。意識してなるべく県産品を使うようにしていますが、長崎は食材の宝庫なので、気がついたら県産品を使っていたということはよくあります。オープン当初は眼鏡橋が近いことから、県外からのお客さまが多いかもしれないと思っていましたが、実際にはほとんどが県内のお客さまです。それもリピーターになってもらった人が多い。本当に人とのつながりに助けてもらっていると思います。地元の人たちに愛してもらっていることに心から感謝しています。本当に店を持って良かったと思います。

そうですね。本当に多くのお客さまが来られるようですね。

インタビューの最初に「イタリア料理と決め付けているわけではない」と言ったのは実はこの部分なのですが、ピアチェーボレはイタリアンレストランというよりは、「長崎イタリアンレストラン」なんですよ。味付けもヨーロッパそのままではなく、地元の人たちの口に合わせています。長崎の昔ながらの味付けは、出汁が効いたちょっと甘め。お客さまとのつながりももちろんですが、材料の仕入れなどにも人のつながりが影響します。良い材料を仕入れていると、その生産者の方からまた良い仕入先を紹介してもらいます。

良い連鎖は新たな良い連鎖をどんどん生みます。多くの生産者さんたちと交流を持つことができるようになって、今では休日に直接畑にお邪魔することもあります。僕も凝る方ですが、お付き合いのある生産者さんたち、みなさんこだわりのある個性的な人たちばかりです。食材談義になると、もうエンドレス状態です(笑)。野菜ソムリエの資格を取りましたが、めちゃくちゃ野菜の魅力に嵌っています。

イタリアでの入院体験は、今道シェフにとって本当に大きな意味があったのですね。

いまさらながら正直に言うと、僕は本当は福祉系の仕事をしたいという気持ちがずっとずっと強かったんです。それなのに進んだ道が料理でしょ?だから料理と僕がやりたい福祉を何とか結び付けたかった。そしてたどり着いたのが「介護食」。「介護」という言葉は、ニュアンスとしては僕がやろうとしている方向にぴったりというわけではありません。

僕が入院したときのような「病院食」も含めたとても広い概念なのですが、その「介護食」に今めちゃくちゃ興味を持っています。今までの介護食って、ほとんど和食が中心だと思います。だから、洋食でおいしい介護食を作ろうと思ったのです。凝り性の僕は、「介護食の現場ってどんなところだろう?」「そこで働いている人はどんな気持ちなんだろう?」と、いろんな現場を見せていただきました。すると…。

「面白い!」と感じたんですよ。なぜだか分かりますか?

今道シェフが質問するくらいだから、普通の答えではありませんよね?(笑)

(興奮気味に)重みが違うんですよ。入院しているときもそうですが、食事に対する期待度がレストランのお客さまとは全く違うんです。僕が入院しているとき、「入院中は食事だけが楽しみ」と感じたものに限りなく近いものがあるのです。その人たちを満足させられたらと思うだけで、ワクワクしてきませんか?

シェフがワクワクしていることは、今ビンビン伝わってきています(笑)。

ははは。そうなんだ(笑)。だから、本当はそういう仕事をしたいんですよ。この店を今すぐ畳んででもやりたいくらいなんです(笑)。時々、介護食をテーマにして、栄養士さんや介護現場で働く調理師さんたちに講習会をさせてもらっています。でも、これをビジネスとして何か確立したいわけではありません。そうではなく、やりたくてやりたくて仕方ない道がこの方向にあることだけは間違いないんです。僕は料理人ではないので、イタリアンレストランとして有名になりたいとか、それを極めたいとかいうことには、全く興味がないんです。

じぇじぇ? ちょっと待ってください。今道シェフは料理人でしょ?

確かに料理は作っていますが、自分を料理人だとは思っていません。だって料理人と名乗るにはとても僕が足元にも及ばない料理人さんたちが周りにもたくさんおられます。もし僕が料理人なら僕の性格上、もっとイタリアンレストランとして極める必要が絶対にあるし、イタリアンの鉄人を目指してテレビの対決番組にも出ないといけないでしょ?(笑)。負けず嫌いですから。

はははは。そりゃそうですね(笑)。

「さあ鉄人・今道康弘の登場です!」って聞こえてきそうです。

ははは。そんなこと言ったら叱られますよ(笑)。僕がやりたいのは何度も言いますが福祉の仕事なんです。料理を極めるなら、料理そのものを極めないといけません。それは絶対です。少なくとも20代から今までずっとずっと料理のプロとしての道は歩いてきましたから、それは痛いほど分かります。分かるが故に僕は断じて料理人ではない。自分自身でも自覚していますし、そこにある意味誇りを持っています。その証拠が僕の料理に対する評価だと思います。

どんな評価なんですか?

「何だかよく分からない」と言われることはよくあります。でも、気に入った人たちは本当にもの凄い頻度で通っていただきます。もう申し訳ないくらいに通っていただく人も少なくありません。それには自分自身もびっくりします。それくらい僕の料理人としての評価は両極端です。この店は7年になりますが、最初の2年間は悩みましたよ。もう毎日へこんでいました。でも、ある日気づいたんです。

気づいた?

う。気づきました。もともと料理が好きで好きでフランス研修に行ったわけではない。フランスでは調理に関しては全く何の習得もできていません。得られたのは「料理が持つ底知れない力」を知ることができたことです。イタリアでは、おいしくないと感じていた病院食がだんだんおいしく感じられる感覚。これが本当に不思議な体験でした。そこで、リゾットとお粥の関係に気づいた。料理人なら、もっと早く気づけよって感じですよ(笑)。

でも、料理人としての気づきは「料理を対象物として気づく」部分。僕は本当にケガで入院していて、「患者の目線で気づいた」。この差は非常に大きいのです。僕は患者として料理のありがたさを気づくことができた。大げさですが、「料理とは何か」を食べる側としてほんの少し気づくことができた。そして、本当ならおいしくなかったかもしれないリゾットが、この世のものとは思えないほどのおいしさで僕の喉を通っていきました。その結果「日本のお粥だ!」と感じた感動はいまだに忘れません。まさに至福の時間でした。

その感動を、何らかの理由で施設のベッドの上や自宅で心待ちにしている人たちに届けたい。体調が悪くて普通の食事ができない人たちにも、おいしく感じられる食事を届けたい。素直にそう思いました。料理そのもののおいしさとはちょっと違うんです。どう言えば伝わるかな(笑)。だから、イタリアンレストランとして名を売りたいとか、料理人として有名になりたいとか、そんなこと、これっぽっちも考えていません。もう本当にそんなことなんて、どうでもいいんです。

もちろん、負け惜しみじゃありませんからね(笑)。

伝わってきます。今道シェフがやろうとしていること。うまく言葉にできませんが。

ありがとうございます。僕は料理を使って福祉の仕事をしたいだけなんです。料理そのものが評価されることよりも、介護の現場のように何らかの理由で食事を心待ちにしている人を笑顔でいっぱいにしたい。それが僕が目指す「介護食」という分野なのかもしれません。よく「介護をしたいの?」と聞かれることもありますが、そうではなく日本語としてぴったりくる単語がまだ見つからないんですよ。僕がやりたいのは、もっともっと広い意味で、「料理を心待ちにしている人に届ける料理」です。やはり通常の料理とは違う知識や技術も求められます。「病院食」もその分野ですが、そのイメージをポジティブなものに変えたいという気持ちが強くあります。そのための拠点としてのレストランの存在が大事なんです。

ちょうど今秋、長崎を舞台した介護がテーマの喜劇映画「ペコロスの母に会いに行く」が公開されますが、今道シェフの活動はまさに「食のペコロス」ですね(笑)。

そうかもしれません。今はまだ具体的にハッキリしたことがあるわけではありませんが、今までの経験と同じように、何だか訳がわからずやりたいことに突き進んでいる内に、ピンポイントで僕がやるべき答が見つかるような根拠のない自信はあります(笑)。ぜひ形にしたいですね。

凄い。私も何だか訳がわかりませんが、興味あります(笑)。

人の嗜好というのはさまざまなので、私の考えが絶対に正しいとは思いません。でも、縁ある人たちと一緒にこの思いを共有していくことができて、それが誰かの役に立てば言うことはありません。多くのリピーターのお客さまに支えていただくお陰で、レストランは何とかうまく運営させてもらっています。そして僕の夢というより、縁ある人たちと共有する夢をみんなで実現できる拠点こそが「ピアチェーボレ」だと思うのです。そうなったらいいなと、ずっと夢見ています。

私もその夢に参加させてもらっていいですか?

いいですよ(笑)。今、この店は私のほかに迎と吉田という2人の調理スタッフがいます。彼らにもぜひこの店から巣立ってもらって、一緒に共通の夢を実現してもらいたいんです。巣立っていく人材をどんどん育てるためにも、彼らには早く巣立ってもらいたいんですけどね(と、2人を振り返る今道シェフ)。

      迎雅光さん(左)、今道シェフ(中央)、吉田大志さん(右)

おふたりともガッツポーズされているので大丈夫でしょう(笑)。今道シェフ。最後に読者の方にひとこと言葉をいただけますか?

もし興味を持ってもらえたら、ぜひ一度ランチをお試しください。僕なりのこだわりなので、感じ方は人それぞれだと思います。だから食べてもらって、判断していただくのが一番早いと思います。調理中は全神経を集中させているので、無愛想になるかもしれません。そこはどうかご勘弁ください。心よりお待ちしております。

今道シェフ。貴重なお時間をありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございました。

屈託なく爽やかに笑う今道シェフ。心待ちにしている人を笑顔にすることにこだわるという言葉が印象的でした。

推薦者編「太田美樹さん」

■PIACEVOLE
営業時間:ランチ11時30分~ラストオーダー14時。
ディナー18時~。ラストオーダー21時
定休日:月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日)
所在地:長崎市銀屋町2-16
電話:095-825-1222

ピアチェーボレ(文責・長崎経済新聞編集部 田中康雄)


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